聞けども聞けどもイエモンだった
いろんな体位で猫を持ち上げるのがブームだ。時に首を絞めてしまうこともあるので、親たちは注意している。
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最近Amazonプライムで「ドラゴンボール超」を観ている。
原作に対してどうのこうの、という話はよく聞くが特に気にしない。
わたしはドラゴンボールシリーズは好きだがファンであるとはとても言えない。
悟空の妻・チチが牛魔王の娘だということも最近知ったぐらいだし、「桃白白」
なんて言いたいから言うだけのレベルだ。
本当のファンに大変失礼である。
では、ドラゴンボールのアニメを何故観てしまうのかというと、単純に野沢雅子の声が好きで鳥山明氏の絵のテイストが好きなだけだ。
あと、何も考えずに頭を空っぽにしてボーッと観ることができるのもいい。
幸い、子の食いつきも良いので、わたし一人だけ好き放題しているという罪悪感を抱くことなく視聴している。
OP曲がチャーラーヘッチャラーの時代で感覚が止まっていたため、超の吉井和哉氏のOPには多少戸惑ってしまった。聞けども聞けどもイエモンである。
さらにストーリーの合間で使われるBGMにチャーラーヘッチャラーのアレンジ曲が使われていたりするのでズッコケてしまう。
とりあえずぶっ続けで10話近くまで観た。俺TUEEEEな破壊神ビルス様にみんなが(まさかの神龍までも)ヘコヘコしまくっているのがとても悲しくなった。サイヤ人5人分で誕生した超サイヤ人ゴッドはとってもジューシーなさくらんぼ色の髪をしていた。
そのあたりまで観て、とりあえず番組を変えた。
超、と書いてスーパーと読むんだよなぁと思ったとき、ふと父方の祖父のことを思い出した。
昔は船乗りをやっていて、祖父母の家にはなにやら怖い置物やらお面やらがよく飾られていた。
たしか、海外からチンパンジーを連れ帰ってきて、そのまま父のペットにしていた気がする。父は、チンパンジーの飼育はとても大変だったと振り返る。
祖父は常にウイスキーやら度数の高いお酒を昼夜問わず飲んでおり、いつも酔っ払い状態だった。
彼の部屋にお邪魔すると、所狭しと並べられたVHSが。近所でレンタルしてダビングして、というのが本当に大好きだったようで、わたしたちが観るようにとディズニーアニメやアンパンマンなどもかなり膨大な数をダビングしていた。
その中にドラゴンボールもあった気がする。
それを毎週遊びに行くたびにガンガン観ていたので、わたしは当時のアンパンマンやドラゴンボールに関してはめちゃくちゃ詳しい。歌も歌えるぞ。
そんな祖父は、わりと口が悪かった。暴言とまではいかないが、子どものしつけに影響が出ると心配して母が顔をしかめていたぐらいだ。
もちろん悪意があったわけではなく、多少の愛着を持って発言していてくれたのだということは幼心なりにわかってはいたのだが、その言葉の中にどうしても理解ができないものがあった。
わたしたちの名前の頭に「スーパー」をつけるというものだ。
わたしならば「おい!スーパーチヒロ!」と呼ばれるわけだ。はじめは何が何やらわからなかったが、勢いが良かったので特に気にしていなかった。
理由を聞きたかったのだが、祖父は早くに他界(酔っ払って階段を踏み外し落下してからあれよあれよと弱ってしまった)してしまったので、いまでも「スーパー」のワードだけが頭の隅に残っている。
そんなことを、「ドラゴンボール超」きっかけで思い出した。
【日常あれこれ】
納期がちょい先だった案件、やっぱり今夜中に終わらせようかと迷いながら何故か板チョコを食べてしまったのでベッドに引き返せず、そのまま勢いで最後まで終わらせたので板チョコは結果0kcalですおやすみなさい。
— ヤマモトチヒロ@佐世保在住フリーライター (@chirol1660) 2020年1月17日
ファッションに疎い嫁がファッショニスタのお姑さんを撮るアカウントをはじめた話
Instagramで新しいアカウントをつくった。
これはもともとのやつで↓
新しくつくったのは、ファッションセンス皆無なわたしがファッショニスタのお姑さんをただただ撮り続けるほのぼのアカウントだ。
このアカウントでもしきりに伝えているように、お義母さんはファッショニスタだ。
物心ついた時から服に携わり、愛し続けて40年超。
とにかく持っている服や小物の数も、服の歴史やブランドの知識も、あの日どんなコーディネートで過ごしたかという記憶力も、なにもかもが桁違いだ。
その凄さを伝えたいのだが、いかんせん、わたし自身がファッションに疎く語彙力も壊滅的なため、「とにかくオシャレですごい」としか表現できないのが情けない限りである。
そんなわけで、わたしなりに彼女がどれだけすごいのかを写真で伝えることにした。
わたしの目から見たそのままだから、テキストはおまけ程度に魅力が伝わるだろうという甘い考えでもあるが、これが一番だと思ったのだ。
(ファッションに疎い)嫁である立場でお義母さんにお声掛けをするには少々恐縮な部分もあったが、二つ返事で快くOKをいただくことができた。
当時のわたしの内心は「うおぉー、よかったぁぁー」であった。
記念すべき1回目にアップした写真。
お義母さんの服装は、1日たりともコーディネートがかぶることがない。
「オシャレに楽をしない」が彼女のモットーだ。
平気でパジャマで1日を過ごしたり、昨日の服をそのまま着回したり干して乾いたばかりの洗濯物から適当に着るものを見繕うわたしにはとても耳が痛い。
しかしそれだけ彼女は服に敬意を払い、愛している。生活に欠かせないパートナーである。
2回目は元旦だった。
亡き父の着物を颯爽と着こなす姿にシビれる。
古着には、持ち主の思い出が宿っている。
それが大切な家族のものだとしたら、そしてもうこの世にいない人のものだとしたら。
袖を通すとき、なにを考えるだろう。
果たして自分がまとっているのは服だけなのか。そうではないはずだ。
わたしが成人式のとき、祖母の着物を着させられた。着せられたというには語弊があり、正確には気に入ったので自分から着た。
「わたしも着たから、あんたにも着てほしい」と母から勧められたことがきっかけだ。祖母も喜んでくれた。
周りがそれぞれに好きな色の華やかな晴れ着に身を包むなか、わたしはアイボリーの質素なたたずまいだった。
ショールも祖母のもので、朱色に亀甲のような模様が入ってとてもおめでたさ全開だった。
同級生から「何かのママや!」とつつかれまくったのを覚えている。なんかのってなんだ。スナックじゃないんか。
祖母が亡くなった今、振り返るとあの着物を着ることができたのはとても良い経験だったとおもう。
今ならわたしはどんな気持ちで袖を通すだろう。どんな祖母の想いを汲み取ることができるだろう。
「着る」ことの意味を考えさせられた、元旦での撮影だった。
3枚目。スムーズに撮っている風を装っていたが、使い慣れないカメラと日没で薄暗いという環境で、わたしは手に汗をかいていた。
4枚目。わたしはこれまで、ポージングの指示は一切出していない。
本当に魅せ方がお上手なのだ。
写真を撮られるときピースばかりしてしまう自分を卒業せねばと心に誓った。
5枚目。恐れ多くて撮影に緊張していたわたしだが(自分から頼んでおいて失敗したらどうしようなどとガクガクしていた)段々と楽しくなってきた。
「写真撮って!」とお義母さんからの一声があると余計に嬉しい。ハイ喜んで、である。
めまぐるしく変わるお義母さんの服は見ていて楽しい。
可愛いともおもうし真似できないともおもうし、これならわたしにもイケるか!?など、たくさんの刺激をくれる。
これからも撮り続けるのが楽しみだ。
そんな感じだ。
これでわたしの服装が少しはマシになるのかとか、そういった自分への還元はあまり考えていなくて、とにかくお義母さんへのリスペクトが表現できればそれでよいのです。
1年分ほど写真を撮り溜めたら、何かしらの形に残したいと密かに考えています。
もし宜しければフォローしてくださると嬉しいです。
【日常あれこれ】
やー、タートルネックのニットもエロいしスーツもエロいわ。良い一日だった。夫の話です。
— ヤマモトチヒロ@佐世保在住フリーライター (@chirol1660) 2020年1月12日
楽器を演奏するように履歴書をつくる
先日、妹1が自宅に遊びに来てくれた。
お昼ご飯を買ってきてくれると言うので、いつも悪いなと思いつつ遠慮していたら大好きなカヤバーガーだったのですぐさま食らいついた。
たらふく食事をしてお腹いっぱいになったいたはずの子が、われわれの食事の雰囲気に誘われて突進してきた。
すでにこの時にはバナナ1本とキウイ半分、ミルクを200ccと離乳食の中華煮を平らげていたはずなのだが、どうやらまだ足りていなかったようだ。
私の手から強引にポテトを奪い取ると、見られるといけないものであるかのように一気に口に押し込んだ。
塩気がとても心配だったので飲み物を与えようとしたがなりふり構わずこちらに向かってくる。
妹1が、先日の私の誕生日プレゼントのついでに西松屋で買ってくれた子のコーン菓子があったのでそれを1袋与えたが足りないと怒るのでもう1袋与えた。
するとさらに食べようとするので菓子そのものを視界から遠ざかるべく適当な箱に隠した。
気がつけば相当な量を食べさせてしまったが、これは甘やかしなのだろうか。
同郷出身でライター・編集者として活躍している夫の友人から魅力的なメディアを紹介してもらったので、ダメ元で履歴書をPDFで作って送付した。
何を隠そう、これまでアナログでしか履歴書を作成したことがなかったので、PC上での書類作成には奇妙な汗がたくさん飛び散った。
まさに新しい文明に四苦八苦するおばちゃんだった。
マウスとキーボードを抱えて、机をよじ登ってくる子をウロウロと避けながら最後まで作った。なんだか楽器を演奏しているようなスタイルになった。
非常に達成感があった。
良いお返事が来ることを祈りつつ、子と晩ご飯の時間を過ごす。
最近は子の食事に関しては完全に温かい目で見守るスタイルを貫いており、どれだけこぼそうが動じないようにしている。さすがにお椀をひっくり返しそうになったり席を立ち上がったりしたときは止めに入るようにしているが。
そんな私の様子見と子の努力があいまって、時間をかければ自力で皿をほぼ空にするまでに成長した。もちろん子の周辺は色々と飛び散っている。しかし構わないのだ。自力で食事をしてくれることがこんなにも喜ばしいことだとは。
年末年始に溜まっていた録画分を夫と見終わった。高嶋兄のグルメ変態ぶりが少し弱かったので物足りなかった。
ひとまずなんとなく一区切りついたような気持ちになった。明日からちゃんと仕事やろうと思った。
こんがりトーストで口のまわりをケガしてしまう
朝、子が寝ている隙に夫のお弁当作りをしたり洗濯をしたりする。
身体を起こすまでは地獄だ。頭のなかで、もし夫のお弁当作りをサボったら1日いったいどれだけ後悔するかを一通り想像してモヤモヤしたあと、やっとのことで布団から身体をべりべりと剥がす。
重い足取りで台所へ向かうが、着いたころにはかなりシャッキリしている。単純なものだ身体というのは。
作るのは超簡単なおにぎり弁当だ。用意した米にふりかけを混ぜ込んで握るだけだ。夫はとても大量に食べるので、おにぎり1個あたり半合分ほどある。
しかし、先日は2合分ほど握ってしまい、さすがに食べきれなかったと報告を受けた。
また、昨日はおかずのバリエーションに困り、側にあったもち吉のサラダせんべいを弁当箱に詰め込んでしまった。さすがの夫から、あれはおかずになり得ないと苦言をいただいてしまった。
というわけで、今回は反省の意も込めておかずを手作りすることにした。
じゃがいもとツナをカレー粉で炒めただけの超簡単なものである。
とてもInstagramなどで写真をアップできるような様相ではないのだが、もち吉よりはマシだろうと思う。
気持ち程度にバナナを1本つけて夫とともに送り出す。たくさん食べるんだぞ。
さて、子がまだ寝ているのを良いことに、自分の朝ごはんを食べることにしよう。
トーストをこんがりと焼いてバターを塗り、一気にかぶりついて飲み込む。
いつ起きるかわからないのでこの時間はゆっくりできない。一気にできることは一気に済ませたいので、あとで仕切り直すのも面倒くさい。
あとで口のまわりを舌でなぞると、縁のほうもケガしているようだった。なんとも間抜けな気持ちになりつつ、お茶を流し込んで二度寝した。
部屋の観葉植物の葉の色が1枚、また1枚と変わっていく。
そろそろ水をやらねばと思ってまた次の日おなじことを考えている。
6ヶ月目に入り、お腹がいよいよ本格的に大きくなってきた。
子の移動に一番身軽だった抱っこひもの使用が難しくなってきたのである。
となると、おんぶ紐でどうにか頑張りたいところだ。ネットであれこれ探してみるがいまいちぴんとこない。
そもそも、装着する以前に、体力がガタ落ちしてしまっていることが問題として浮上してきた。
お正月明けに家族で水族館へ行ったのだが、あまりに動き回る子の歩みについていけず途中ベンチで休憩するという醜態をさらしてしまった。
そんな状態であるにもかかわらずおんぶ紐でウロウロしようなどとは…自分でも大丈夫なのかとおもってしまう。
しかし、家での缶詰状態が続いている今、どうにか外に出る意欲と手段を得たいものだ。
このままでは本番当日、ふにゃふにゃの筋肉で挑むことになる。それだけは避けなければいけないのだ。
ささやかな反抗心から、YouTubeで「誰でも簡単!マタニティ筋トレ」的な動画をタブレットで流す。
子が面白がって乱入してくるので笑ってしまう。筋肉を引き締めるどころではないのだった。
子の運が良かったのでホッとした親心
年が明けた。
今年は子年なので、良いスタートの年となるそうだ。
新しいことを始めることや、転居転職にも最適らしい。
しかし、第二子でお腹が大きくなってしまった身体をさんざん甘やかしていた結果、自宅に関しては大掃除すら終わっていない状態で新年を迎えることになってしまった。
これではあんまりなので、部分的に掃除を頑張って自分を納得させることにした。いまのところ、台所のみ縁起がいい。あとはタタリ場と化している。
子の運動能力が日に日にあがっていく。
高い山に挑み続ける登山家のごとく、家にあるものを使ってさらなる高み(物理的)へと向かっていく。
その危険を顧みない貪欲さには呆れてしまうが、成長が嬉しいことも事実だ。
子は、はじめのころは子ども用の椅子などを使っていたが、次第に両手で机などにつかまりながら、横棒状のものや面積の狭いものまで踏み台にするようになった。油断も隙もあったものではない。
あまりに危険な場合はすぐさま止めに入るが、できるだけ遂行を見守りたいという気持ちもあり(止めればその分ヒートアップされてしまうからというのもある)、複雑だ。
特にパートナーが側にいる場合、そのあたりの認識を共有していないと「なんで止めないんだよ」とモヤッとしたりされることもあるので注意が必要だ。
夫が職場の人たちと初詣に行ってきたらしく、家族分のおみくじを引いてきた。
見てみると、夫とわたしは小吉で子は末吉だった。
ざっくり内容を要約すると、「現状維持。あと安産です」だった。よし、がんばる。
末吉は、わたしは残念賞のように思っていたが、年の後半から運気があがってくるため小吉より良いとのこと。子の運が良さそうでホッとした。これも親心か。
また、ほかにも誕生日くじや安産のお守りももらったりして、夫が神の使いになって至れり尽くせりのようになってしまった。
ここまで書いて、文字数が777だったので気持ちよく終わろうと思う。
クリスマスはビエネッタを食べるための大義名分
晩ご飯の離乳食にトマトリゾットをつくった。
しかし冷ますのが足りなかったようで、子が熱がって泣いてしまった。
全力で謝りつつ、もう一度慎重にリゾットを冷まし口に運ぼうとすると、
「怖いのでいりません!」と無言の訴えをされてしまった。
こんなに子の感情が言葉のように伝わってきたのは初めてで、わたしはよほどのことをしてしまったのだろうと反省してしまった。
しかし、子の必死の身振りから次々と「あんたの飯なんか、信用できるかぁー!」「ふん!いくらフーフーしたって無駄じゃ!」とセリフが浮かんでくるので、いけないと思いつつ笑いがこみ上げてきてしまった。
しっかりと冷めるのを待ってから口へ運ぶと、おそるおそる食べてくれた。
「本当に熱かったね、ごめんね」と言うと、やや口をへの字にしてウンウンと頷いていた。
仕事終わりの夫に、「街がクリスマスでなんかいい感じだからお出かけしようよ」と誘われた。
ちょうど子の晩ご飯を済ませたところだったし、すっかりご機嫌も直っていたので喜んで身支度をして家を出た。
クリスマスの終わりかけ、年越し正月ムードへのグラデーションに彩られた五番街をうろつく。
この、街がそわそわしている雰囲気がとても好きだ。
今日はもともと、夫に「ビエネッタ」を買ってきてくれと頼んでいた(クリスマスはこれを食べる良い大義名分なのだ)。
しかし、せっかくなら他にも好きなものをどうぞといった具合で服やら靴やらを見て回ることになった。
わたしにはお出掛けとお買い物、食いしん坊の子には離乳食祭りと、家庭で一番頑張っている自分を差し置いての夫のクリスマスサービスに喜びを感じつつ、
「きみは欲しいものはないのかい」と尋ねると、高スペックなカメラやガジェットの名前が飛び出してくる。
これはわたしの独断では決して買えないので、サプライズ不可なのが難点だ。
それをわかってなのか、毎回この質問をすると似たようなやりとりになる。
なので、話は逸れてしまうが、今年の夫のバースデーでは、サプライズ感を出したいがためだけにわたしの好みをガンガンに押し付ける形でお祝いをした。
直筆の手紙と、撮りためた夫の写真の中から厳選した写真集である。
受け取った夫はさほど驚きはしていなかったし、「自分の写真集をもらっても」といった具合だった。
たしかに手紙ならともかく、わたしも自分の写真をもらったところでどういう顔をしていいかわからない(笑えばいいのか?)。
そんなわけで、夫にサプライズを仕掛けるのには彼の予想を大幅に裏切った展開でなおかつセンスが良くてコスト的に無理がないものでなければいけないのだ。
まだまだ改善できる余地はある。
来年の自分に期待しよう。
五番街をぶらぶらし、GUで面白い色の靴とロングトレーナーとスカート、荒ぶる髪を鎮めるスプレーを買ってもらった。
ついつい立ち寄った桃太呂で長崎豚まんを衝動買いし、獲物を手に入れた野獣のごとくフードコートで一瞬で食べ尽くした。
そしてお目当てのビエネッタも、バニラとティラミスの2種類を買ってくれた。
家に帰り、子が眠っている隙を見て大本命のバニラ味をうまうまと食べた。
夫はビールとともに1口食べて、「ぅああまっ」とそれきりフォークを置いた。
わたしは夫用というていで多めに取り分けたぶんをさらりと平らげた。
やはりビエネッタの魔力といえばパリパリチョコだ。
バニラの存在はパリパリチョコが適度な隙間を保つためにあるといっても過言ではない。
パリパリチョコを口の中で味わっているときにはもう次の1口を欲している。なにか危険な成分が脳内で出ている気がする。
さすがに1人でティラミスまで完食できそうもないので、年末年始ゲストへのふるまい用にしようと夫に提案した。なんて平和な提案だろう。
しかし、箱から出してしまえば原型がわからないのをいいことに、少し手を出してしまいそうな予感がしている。
それだけに、年末年始の魔力は恐ろしいのだ。
365日、彼らは愛宕山に登る【佐世保相浦】
眠い。
朝6時。いつもなら布団でスカスカ惰眠をむさぼっている時間だが、この日は登山の約束をしていたのでなんとか這いずり出なければならなかった。
365日、晴れの日も雨の日も風の日も雪の日も山に登る人たちの集まりにちょっと参加することになったのだ。
半ば勢いでOKしてしまったことを悔やみつつ、のっそりと外に出た。
連日続いていた攻撃的な真夏日も朝だけは休戦しているようで、山鳩の声が心地いい。
穏やかな涼しい風に吹かれ、少し眠気が覚めた。
古びた商店街の脇に車を停める。
本当にここであっているのか不安になったが、歩くこと3分足らずで登山口に到着した。
長い登りも大きな自然公園もなにもなし、ショートカット登山口である。
「そしたら、行こうかねぇ」
70歳近くのおじいちゃんおばあちゃんに出迎えられる。
半袖スニーカーの、まるでその辺をウォーキングするかのような出で立ちの彼らは、会話もそこそこに登山ルートをぐんぐん登り始めた。
えー、準備運動なしでスタートですか。というか、すごくラフな格好なのですが。わたしなんかトレッキングシューズ履いてきたというのに。なんだかすごく場違いじゃないか。
わたしは足がつってしまうのが怖かったので、ちょいちょいストレッチをはさみながら歩を進めた。
「ほんとに毎日登ってるんですか」
そうそうに息切れしながら聞いてみる。
「まぁ、せいぜい標高259メートルしかないからね。30分もあればのぼりきれるよ」
マジか。
往復で1時間、しかも住宅エリアから徒歩で近い。これでは普通のウォーキングやジョギングと変わらない感覚だ。
だから彼らは毎日でも登れるのか。すごい。
「毎朝登山してます」ってどんなエクストリームモーニングだよ。かっこよすぎるよ。
しかし、朝の日課というにはそれなりに石段がきつい。
10分でもうギブアップだ。
けっこう頑張ったけど、やはり地の利に詳しい彼らには到底及ばないのだった(原因はそれだけではない)。
親切が具現化したかのようなレンタルステッキにちらと視線がいく。しかし若者枠で呼ばれたというプライドにより、見なかったことにしてしまった。
毎日人間に染まりまくっているからか、この山はとても人に優しい。
手作りの番号札がどのような場面で役に立ったのか聞いてみたが、
「以前下りんときに石で足ば破かしたひとのおってからね、救急車ば呼ぶときにこの番号ば言ったけんが助からしたとさ」
たぶんこう言ってたとおもう。
山を降るときに、石が足に貫通した人がいて、救急車を呼ぶときにその番号を伝えたことで位置がすぐに特定され、大事に至らなかったということだ。
なんだその怖い石は。ほんとうに石だったのか。もののけの類じゃないのか。
話しながら登っていたが、わたしは手すりにつかまっていないともうダメだった。
登山道に手すりが設置されているなんてもはや登山体験ですかと言いたくなるほどの衝撃だったけど、
もっと衝撃だったのは手すりの大部分に蜘蛛の巣が張っていたということだった。
すなわち誰も使ってない。どんだけタフなんだご老人方。
(わたしがみなさんの足を引っ張ったので)登ること45分、やっと頂上に到着した。
頂上には小さな広場と、さらに上には祠があった。
景色に感動するあまり、写真を撮り忘れた。
わたしがご一緒した老夫婦の前にすでに到着していた人がちらほらいたがほぼ全員ご老人だった。
「若い人のおる、珍しかね」とリアクションしつつ、病院の話、孫の話、健康の話、テレビの話といろんなトークに花を咲かせる。
登頂を終えた爽快感と、おしゃべりというストレス発散が毎日長続きする理由らしい。
高齢者で一人暮らしの方も多く、こうしたコミュニティが彼らの生きがいになっているそうなのだ。
一緒になって楽しくワハハと雑談していると、おじいさんが「あっ、ムカデのおるよアンタ!」と言い、わたしの肩に這っていた巨大なムカデを素手で捕まえ遠くへ投げた。
またしばらくすると、おばあさんが無言でジーンズを履いていたわたしの太ももあたりをベチンと叩いた。
「アブのおったよ」
わたしのジーンズは、潰れたアブから噴出した私の血でべっとりと濡れた。
その後おばあさんから虫刺されの薬を塗ってやると言われ、木陰にかくれてマンツーマンでパンツをさらすはめになってしまったのである。
通算1000日以上登り続けたレジェンドと歩く
通算1000日以上、この山を登り続けてきたというレジェンドの初老男性が遅れてやってきた。
3年ほどずっと皆勤賞というわけだ。
毎日の登山でがっちりと鍛え上げられた彼は、皿回しサークルの会長を務めるなど、健康づくりには余念がないそうだ。
そんな彼に先導してもらう形で山を降りることになった。
とはいえもと来た道を戻るだけだし、ゆるく雑談でもしながらのんびり帰ろうと思っていた矢先。二股に分かれた道でレジェンドが立ち止まった。
「じゃ、せっかくやけん別の道ば行こうかね」
まさかの別ルート下山だった。
どこまで行くのだろう。下っ腹が痛くなると思って、朝ごはんを抜いてきたのがアダとなったらしく、体力がレッドゾーンに突入してきた。
しばらく歩くと、異様に大きいバナナの木が目に飛び込んできた。
まだ完熟には程遠い状態ではあったが、青くてちいさいバナナがかなり上の方で房を揺らしていた。
なんとこのレジェンド、自宅が登山口のすぐ近くだった。
そりゃあ日課にもなるわけだ。
ちなみに反対側から見るとこんな感じだ
ザ・田舎の原風景といったたたずまいだが、後方をちょっと歩くとこの町のメインストリートに出る(エレナとかココカラファインとかタイヤ館とかあるんだぜ!)。
川の中につくられた飛び石をハラハラしながら渡っていく頃には、すっかり日も高くなっていた。
額に汗がにじみ頬を伝っていったが、突き抜けるような青空が綺麗でしばらく見とれていた。
365日、この山に登り続けるご老人方にとっては見慣れた光景かもしれないが、わたしにとっては新しい故郷の景色として刻みこまれたわけである。
【記事を書きました】
★全国の観光情報メディア「SPOT」にて佐世保を発信させていただきます! travel.spot-app.jp
★デイリーポータルZ「自由ポータルZ」で入選しました。めちゃくちゃ嬉しくて鼻血が出ました。
★デイリーポータルZ「自由ポータルZ」もう一息でした。めちゃくちゃ嬉しいです。佐世保にお立ち寄りの際はぜひ佐世保玉屋へ!
★佐世保市のローカルメディア「させぼ通信」で書かせていただきました。
★好きです、西海楽園フォーエバー。