ヤマモトチヒロのブログ

佐世保在住フリーライターです。育児日記に混じって、地元佐世保の歴史や文化、老舗や人物について取材撮影執筆した記事を掲載しています。

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佐世保の市民演劇の広報をすることになった

数ヶ月前から、佐世保の市民演劇の広報をしている。このブログを読んでいただいた演出家の宮原清美さんに声を掛けてもらったことがきっかけだ。

その市民演劇は、「みんなでつくる 佐世保の物語」という企画名で進行中。

佐世保市の公共ホール「アルカスSASEBO」の開館20周年を記念したものだ。

こんな駆け出しのライターに何が出来るんだろう。具体的なことはいまでもよく分かっていないのだが、「佐世保にも演劇はある」「佐世保でも演劇はできる」ということを広く伝えて、「マジか!意外だな!やるじゃん!」と思っていただくことだろうか。

 

これからは、ワークショップを通して感じたことや、やっぱり演劇って面白いなぁーと思ったことを書いていきたい。

とても個人的な目線なので、あまりにゆるすぎたら申し訳ない。

 

 

 

 

食べこぼしを掃除してくれるアリ

大雨の日は、心の中で「やった」とおもう。

子1の散歩に行かずに済むからだ。彼女の散歩は、隣家に住むお義母さんも巻き込みつつとても長い。

しかし窓にもたれかかり、じっと外を見つめる姿は、見ていてちょっと心が痛む。

はやく止むといいね、と声を掛けて子ども向け番組を一緒に見ていたが、飽きてしまったようで昼寝に突入してしまった。起きて雨が止んでたら散歩しよう、と呟いて床に寝転んだ子1を抱えあげベッドに運んだ。

 

子2は、わたしがものを食べているときにとても敏感だ。テレビを観ているときやパソコンを打っているときなどは反応があまりないのに、美味しいものをむしゃむしゃ食べているときに限ってなぜか泣く。これは出産後、産院で同室だったときから変わらない。よほどわたしの咀嚼音がうるさいのか(クチャラーではない)心の声が漏れ出まくっているのか、本能的になにかを察知しているようだ。

 

産後の生活にも少し余裕が出てきたので、網戸の張り替えをした。もちろん子らが寝ているあいだにだ。

古いゴムと網をバリバリとはぎ取り、新しい網をピンと固定しローラーでゴリゴリとゴムを枠の中に押し込んでいく。

ゴムがガチッと枠の中におさまる瞬間がとても気持ちがいい。

久しぶりで手際が悪く、多少歪んでしまったが大丈夫だろう。

子を起こさずに遂行できたことでとても達成感を得た。

 

NHKオンデマンドで72時間を観る。相当の取材の労力が感じられる傑作だ。大阪西成の24時間営業の食堂の話と、宮城の1円パチンコ店の話と立て続けに観た。とても人間がザラザラしていて良い作品だった。

 

子らが汗まみれで起きた。2人もいると、熱気のこもりかたが温室のようになる。

雨が上がっていたので散歩に行こうと子1に呼びかけると、寝起きのぼんやりとした表情のまま玄関へふらふらと移動した。そんなにしたかったのか散歩。

そして子1はまっさきにお義母さんの家に押しかけ、手作りのバナナケーキとカットしたスイカを動物園のゾウばりに食べた。

床はお菓子とスイカの汁で大変なことになっていた。

うわぁアリが来る、と子1の動きを静止しようとすると、お義母さんが「アリは食べこぼしを掃除してくれるから大丈夫」と言った。わたしも同じフレーズを使って、心を少し丸くせねばとおもった。

子1のおなかはかなり膨らんでいた。指でつつくと、空気をパンパンに入れたゴムボールのようだった。

 

 

子2が産まれたあたりまとめ

5月2日の朝4時ごろに愛猫が旅立ち、

3日にお寺でお見送りをして、4日の朝4時ごろに陣痛がきて子2が産まれた。

子1もまた、祖母の四十九日あたりのタイミングで産まれたものだから、偶然でないような気がしてしまう。

ゆく年くる年ならぬゆく命くる命といった具合で、わたしのまわりで命がぐるぐるとしている。

 

子2が産まれたのは予定日の11日前だった。

その1週間前、わたしは10分間隔でやってくる弱い陣痛のような痛みに襲われ2日間ほど寝たきりだった。

思えばこのときすでに、子2はしずしずとわたしの体内を降下していたようだ。それはもうお上品に。

後日健診で「4センチ開いてます」と言われた。ナルホドすぎて首を縦にふりまくった。

 

出産当日、5分間隔でやってきた強い痛みにヤバさを感じ、お義母さんに見送られつつ産院へ。

預けられた子1は、すやすやとそのまま昼近くまで眠っていた。

 

新型コロナウイルスの影響で、立ち会いは1人のみ。付き添ってくれた夫にそのまま居てもらうことになった。

今回は母が居ない。

彼女の、ドール製作の綿詰めで鍛えられた強靭な拳が恋しかった。子1の出産時、陣痛がきたときに腰をドンドン叩いてもらってすごく楽だったのだ。

 

産院で受付を済ませるやいなや、分娩室に促された。いきなりクライマックスの予感だ。

入院着の赤ストライプ柄に、かつてのバイト先だったホムセンの従業員エプロンを思い出す。

ゼーゼーと息荒く袖を通した。

そして台に横になったあと、ハッとした。まさかこのまま、仰向けでひたすら陣痛に耐えねばならないのか。

自由な体勢が取れないとは。四つん這い、あぐら、立ち姿勢など、いろんなスタイルで作戦を練っていたのがガラガラと崩れ落ちる。

どうにか気を紛らわそうとしたが、夫に話しかける余裕もなく、ひたすら呼吸に集中することにした。

以前、お寺の住職から学んだマインドフルネス瞑想のレクチャーを思い出そうとするが、残念ながら彼のマジ歌PVしか浮かんでこない。

https://youtu.be/c2NJrVUEhkc

 

めちゃくちゃ深い腹式呼吸をする。まだ幾分か楽である。演劇やっててよかった、と前回と同じことを考えた。

 

わたしはうつらうつらと眠気に襲われつつ、陣痛に叩き起こされまたうつらうつらとした。同時に夫もうつらうつらとしていたらしい。夫婦揃ってうつらうつらしていた。緊張感皆無である。

 

さらに30分ほど経ち、どうにも抑えられない痛みがやってきた。いよいよだ。

わたしはとうとう、「痛い、痛いぃ!」と喚いてしまった。

かつて観た出産ドキュメンタリーと同じ光景だった。

分娩台の取手を必死で掴もうとして爪がガリガリと当たる。取手の細かい溝に指先をはわせて本数を数えた。

天井の明かりを凝視しながら、心の中で旅立った愛猫にあれこれ謝りまくった。

 

そんなことをしているうちに出てきた。永遠にも思えた所要時間は3時間半だった。

夫の「すごい」という声が聞こえた。たぶん「早い」という意味も含まれている。わたしも「早いよね」と言った気がする。

 

コロナ対策でつけたマスクが、目元までずり上がっていた。飲み物を飲むのも忘れていたので、すごく喉が渇いていた。そのあと朝食を持ってきてもらったので夫ともりもり食べた。産んだ場所でそのまま食事、なんだか生きものだなって感じがした。

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▲産んで即、栄養補給。生きものの営みだ。

 

入院生活の5日間はとても早かった。夫がベッド周りにガジェット関係をあれこれセッティングしてくれた。

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▲洋室か和室かと言われ、おもしろ半分で和室を選んだ。行動範囲が広くてはじめは後悔したが、慣れてくるととても過ごしやすかった。

 

「グミが食べたい」と言ったら5.6種類ほど買ってきてくれた。

面会時間も人数も限られていたのでほぼリモートだった。とてもイマドキだ。

 

子2との同室でワタワタしながらも、もりもりとご飯を食べて5日間を過ごした。出した分はしっかり補充できたようにおもう。

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▲食事は、これでもかというほど豪華だった。あまりに美味しくて厨房のひとに「おにく最高でした」とメッセージを書いた。

 

子1の出産時とはかなり違う環境だったが、なんとか楽しめた。しかし色々と忘れていて焦った。まだ1年半ほどしか経っていないのに。

 

そんな感じで、子二人体制の生活を送っている。

大変だけど、とにかく家の中がふわふわしていて可愛い。

 

デザインにそっと歩み寄る

今朝はゴミ出しだった。いつも朝のうちに回収車がきてしまうので、なんとか起き上がってバタバタとゴミステーションに出していたのだが、ここ最近はずっと夫に頼りっぱなしだ。

妊娠中で眠いことを言いわけに、「あとで行くから大丈夫」といいつつ、結局布団から出ずにうだうだしている。

せめて夫のお昼ごはん(といっても超簡単なおにぎりだ)はつくらねばと台所へ行き、すべてが片付いた空間でテレビの録画予約をしている夫に「ゴミ捨てありがとう」と言う。

前日の夜のうちに出せたら朝が楽なのになぁといつも思うのだが、どうやらゴミステーションには管理人さんがいるらしく、鉢合わせすると色々と面倒なようだった。

また、近所の親切な人が地面につけてくれたソーラーライトのわずかな灯りをたよりに、ほとんど真っ暗といっていい山道を登る勇気もなかった。

 

先週は寝坊して行きそびれたので、子のおむつが一週間分溜まっていた。

45リットルのゴミ袋が一杯になるほどの量で、あの小さな身体からこんなに出てくるものかと純粋に驚いた。

 

夫の出勤時間が2時間ほど遅くなったので、いつもよりのんびりしていた。

夫婦で賑やかにしていたので、子もつられて起きた。お義母さんも一緒にみんなで朝ごはんを食べた。

いつもなら二度寝をしている時間なので、なんだか夢の中にいるように不思議だった。

夫を子と一緒に見送った。ブンブンと手を振る子を抱っこしていると、ものすごく住宅メーカーのCMに出てくる家族みたいだった。天邪鬼なのでそれは解せん、と一応思うことにした。

 

若林恵さんが編集した、特許庁の「デザイン経営ハンドブック」を読んだ。

デザインって絵とかオシャレとかだけじゃなかったのかー!と、ものすごく感動をした。素人の感動として立派な見本になれるかのような感動っぷりだった。

話のほとんどは高度すぎて頭が追いつかなかったが、その感動だけでももうけものだ。そんな本や文章とこの先も巡り合わなければとおもった。

ガツガツとお昼ごはんを食べて、子と庭に出てピクニックをした。お義母さんが色々と用意してくれた。申し訳なさと有難さで目元がゆるむ。

偶然にも実母から子へお菓子のプレゼントが届いた。

テンションのリミッターがすっかりはずれた子は口元を悲惨な状態にしながら我を忘れて暴食した。さすがにまずいと思いストップをかけたら、そばにあったホウキを持って一目散に駆け出した。まったくもって自由な生きものだ。

 

その後エネルギー切れで昼寝に入った子をそっと起こさないよう、掃除やら庭の草集めやらに勤しんだ。

そしてまたデザイン関連の本を読んだ。ほんの少し歩み寄れた気がした。

 

子が起きた。壁に備え付けてあるタブレットを指差して「動画を流せ」と無言で訴えてきたが「もう少し主張をがんばらないとダメよ」と無視したら泣いた。

そしてすぐにターゲットを隣に座っていた猫に切り替え、手でモフモフしながら笑っていた。

 

子を連れて買い物に行ける状態ではないので、ここ数週間ずっと財布を開いていない。と同時に、おやつというムダな買い物を一切していない。

まだ周りの空気が穏やかだったときは、夫にチョコやらアイスやらをねだっていたが、最近はとにかくまっすぐ家に帰ってきてほしいので、ほんとうに必要な物資の調達以外のおねだりは完全に自粛している。

子がお義母さんからもらったチョコドーナツの封を開けろと駆け寄ってきた。

お義母さんセレクトなので、きっとヘルシーなやつだろうと思って開けてみると半分だけしっかりチョコがコーティングされていた。

「こっこれは、チョコはまだあなたには早いからー!」と、チョコがけの部分だけかぶりつき、プレーンな部分を子に渡す。

思わず「ンンンンンーーッッ」と声が出た。一種の中毒症状かもしれなかった。

子はそんなわたしを見て、「そんなにか」という顔をしていた。ほんとうに、「そんなにか」という顔をしていた。

またたくまに34週

わたしがウケ狙いでやる変顔を、子が習得している。

なんて素直なやつめとちょっと良い気分になってホクホクしていたが、そのバリエーションをしばらく観察していると色々と思い当たる表情が出てきてドキッとしてしまった。

おそらくわたしが考え事やネットサーフィンに没頭して魂が抜けているとき、眼鏡をはずして裸眼で目を細めるとき、美味いものを食べて感動しているときなど、絶妙な表情を真似るようになってきたのだ。

本格的に親に似るとはこういうことから始まるのか。いつの日か、わたしが子から隠れておやつを食べていたりやたらと言い訳を並べながら昼寝したりといった愚行も真似るようになるんだろうか。しかしながら、わたし自身は両親のそのような面を見て自堕落な性格になったわけではない(どちらかというと両親は勤勉なほうだ)ので、きっとこれは血によるものだ。そう考えると少し気が楽になった。

 

ここのところ新型コロナウイルス関連ですっかり気持ちが参ってしまい、長々とブログをしたためる気持ちが根こそぎなくなってしまっていた。

しかし、なにかしら記録をしておかないとなんだかもったいない気もしたし、別に長々と書く必要はないじゃないかとも思ったので(いつのまにかマイルールに縛られていたようだ)、気楽に勤めることにした。

ここ数日は、行楽シーズンが両手を広げてやってきたばりの快晴が続く。しかし「感染者」「死者」という文字を毎日のように見てしまうので、なんだかホラーだかサイコ映画だかの不気味な演出のようにも感じる。しかし気持ちが良いのだ、春なのだ。

 

妊娠アプリからの通知が来たのでなんだろうと見てみると、34週に入ったとのことだった。思い出したようにカレンダーを見る。あと1ヶ月と少ししかないのか。早かった。

子1とは違い、子2に関しては母子手帳や日記などこまめな記録がほとんどない。愛情は平等だと自信を持って言えるが、彼らに示す証拠がない状態だ。

その代わりといってはなんだが、子1のときにはやらなかった「おむつアート写真」などで補填していこうか。いや、それはそれで新たな争いの火種を生みそうだ。どうしたものか。

子どもは、わずかな違いを見つけるのが大の得意である。外見や周囲からの待遇など、わたしも悩んでいたことも多かった。もらったおもちゃの色が赤だったかピンクだったかのどうでもいいレベルで悩むのだ。お出かけしていて道を歩くとき、家族の誰がどの色のタイルを多く踏んでいたかなんてことも議論の対象になるのだ。

そんなことを考えながら2冊の母子手帳を見た。柄がいわさきちひろくまのプーさんだ。この時点ですでに子どもたちからツッコまれる要素はあったようだ。

 

閉館した井元コレクションについて

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平戸市崎方町に「井元コレクション」というコレクション館があった。

平戸焼(三川内焼)をはじめとする陶器や磁器、平戸らしいオランダやキリシタンゆかりの品々、それに加えなぜかインドの神々の彫像や春画など、非常にアクの強いアイテムの数々が展示されていた。

管理は91歳のおじいちゃんが行っていた。当然彼は、館長でありコレクターだ。

元特攻隊で、平戸ではかなり幅をきかせた有名人だったそうだ。町を歩くと、旅館やら商店やらで井元さんの苗字を見かける。

 

そんな井元さんだが、2019年末に天寿をまっとうした。それに伴い、コレクション館は閉館。

コレクションは全て売却処理がなされ、現在は外見はそのままに中はがらんどうの状態である。

 

わたしは以前、ここに家族で2度訪れたことがある。

1度目は夫と二人で、2度目はお義母さんと一緒に行ってキャイキャイ騒いだ。

 

井元コレクションの存在を知ったのは夫のおかげだ。

彼と観に行った都築響一さんの展覧会「僕的九州遺産(2016 三菱地所アルティアム)」がそのきっかけではなかったかと記憶している。

 

2018年の夏、2度訪問したときのことをまとめて振り返りたい。

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▲忘れもしない、じりじりとした真夏日。昔の風合いを残す通りには、土産物屋やカフェ、旅館などが立ち並ぶ。

 

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▲井元コレクション入口に立て掛けられた札。達筆の手書き文字と展示品の詳細からは「俺がコレクションしたんだぞ」という誇りが感じられる。

 

と、この時点ではまだ中に入ることはできない。

井元さんが駐在している「井元商店」に電話をし、呼び出して鍵を開けてもらわなければならないのだ。

「あのー、井元コレクション見たいんですけどー」

「あー、はい、はい。少しお待ちくださいね」

電話でそんなやりとりをしたあと、ほどなくしておじいさんがやってきた。

足取りと背格好で、結構なご高齢だとわかった。

炎天下のなか呼びつけてしまったことに若干の申し訳なさを感じつつ挨拶を交わす。どちらからですか、佐世保からです、ぐらいな軽い会話だったとおもう。

 

ガチャリと鍵が回ったあと、扉がぎこちなく開く。

やや埃っぽいような湿っぽいような空気が、わたしたちをもわっと歓迎してくれた。

入館料300円を払い、コレクションに囲まれた空間に足を踏み入れる。

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▲中はさほど広くない。両側にガラスの展示ケース、通路中央には紫檀で作られた彫刻や砂漠の薔薇、螺鈿細工の時計などが鎮座していた

 

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▲平戸焼(三川内焼)の置物や壺をながめる

 

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▲栗すごい、おもにトゲがすごい。つまんでキュッとするだけじゃこんなのできない

 

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▲平戸焼の小皿を見ていると、井元さんはふらりと近寄ってきてケースの扉を開けてくれた。平戸藩のお殿様への献上品。さわってはいけないものをさわっているからか、手の皮膚の下がザワザワする。卵殻手(エッグシェル)と呼ばれる超薄手の技巧。うすうす0.02どころの騒ぎではない


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▲わたしが一番グッときたのはこれ。オランダの豪華ディナーを記録した巻物絵。ディナーというより儀式料理かな

 

 

反対側にはインドの神さまたちが揃い踏み。

女神転生ファンのわたしは鼻息を荒くしながら「シヴァだ!ガネーシャだ!パールヴァティだ!ヴィシュヌだ!」と興奮していた。

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中には日本への輸入NGなものもあるようで、どうやって持ち込んだのか聞いてみると「知り合いのヤクザさんに頼んだ」とド直球な返事をいただいた。

 

「町内会の寄り合いとかで、旅行とかいくでしょ。そこでだいたいみんな宴会でドンチャン騒ぎするんだけど、俺は酒が飲めないから、代わりに外ウロウロして色々集めたんだよね。酒じゃなくて、そっちに金使ってたの」

みたいなことを仰っていたが、その〝外ウロウロ”がどんな経路を辿り、さらにどんなアクションが行われていたのかを突っ込んで聞く勇気が当時はなかった。

だって、どう考えてもお酒を我慢したぐらいの金では手に入らないだろう、この品々は。

もっと掘り下げて聞けばよかったと、とても今になって悔やんでいる。

 

 

2階フロアには春画が至るところに展示されていた。

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春画フロアなのに、ウエルカムマットがファンシー

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▲部屋の照明は薄暗い蛍光灯のみ。ステンドグラスが綺麗だった
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春画は美しい女性、少年、男女のシンボルをモチーフ化、擬人化したものなどバラエティ豊富。表現の方法や種類は現在とさほど変わっていないのかもしれない

 

展示品は葛飾北斎喜多川歌麿、鈴木春信などなど大判の版画から、小さいハガキ、巻物サイズまで幅広かった。

「なぜ春画を集めてるんですか?」なんて、野暮な質問だなぁと思いその場で飲み込んだが、やはり聞いておけばよかった。

そしてフロア全体の写真を撮らなかったわたしに全力のバカヤロウを贈りたい。

 

「展示物の管理状態って、今の感じだとヤバいですよね。他にやってくれる人はいないんですか」と、夫が鉄球を投げつけるような質問を井元さんにした。

ぎょっとしたが、確かに、展示物は薄いガラス戸のみで守られており、室内環境がきちんと保たれているとはお世辞でも言えない。防虫防カビ剤的なものもない。

「俺以外にはおらんね」と、半ば諦めたように井元さんは答えた。

その言葉通り、1年後には持ち主がいなくなったコレクションたちは再び散り散りになる。

 

夫と2人で来た時もそうだったが、やはりそれぞれに注目するところが違う。

焼き物が大好きなお義母さんは、とにかく器に目を輝かせ「これはどこどこのナニナニで〜」「とても綺麗!」と感想のコメントを漏らしていた。

それに気を良くした井元さんが、とっておきの逸品を見せてやると、商店のほうへ案内してくれた。

 

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▲井元商店内の応接スペースにて。なにかの組事務所ではない

 

至近距離でまじまじと井元さんを見つめたが、オシャレだ。

腕にはシルバーの重厚な腕時計がぎらぎらとした存在感を放ち、胸元からは同じくシルバーのネックレスがちらりと輝いている。

あれはひょっとしてプラチナだったかと思えるほど、わたしはすっかり井元さんの雰囲気と応接間の空間に飲まれていた。

「きっと若い頃はイケメンだったのね」とお義母さんが言う。

こんなことが言えるのは、お義母さんの年齢もあるが、物怖じしない強さのおかげでもあるのだろう。

わたしがせわしなくキョロキョロする中で、「器、どんなのだろー!楽しみ!」と楽しそうだ。

井元さんは、応接間の奥にある大きな冷蔵庫から、器の入った桐箱を持ってきてくれた。

冷蔵庫の扉が開いた瞬間、鯨の肉が少し熟成したかのような生臭いにおいがした。

なんだこの「なんでも鑑定団」的な光景は。


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▲見せてくれたのは器と茶道具だった。

お茶と器にほとんど疎かったわたしは、名前を覚えていないどころか写真にすらきちんとおさめずただ目の前のやりとりをぼんやり見守っていた


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▲もはやアウトレイジの登場人物にしか見えなくなってきた

 

ひとしきり器で盛り上がったあと、なぜか流れで井元さんの盆栽コレクションを見せていただくことになった。

ひとえにお義母さんのリアクションに嬉しくなってくれたおかげだろう。本当に彼女には感謝である。

 

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▲応接間の奥にある勝手口を抜けると…


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▲屋外に広がる、盆栽コレクション


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▲小さな盆栽の1つ。まるで山水画そのものの世界だ

 

奥行きはさほどないが、縦に伸びた不思議な空間に盆栽たちがズラリと並べられていた。

またもきちんとした全体の写真を撮っていなかった。

それだけ眼前の光景に心を奪われていたのだと思い込むことにする。

 

それにしても、これだけの品種と数を育てるのはかなりの労力だろう。もちろんこれも一人でやっているらしい。

盆栽をひとしきり見たあと、井元さんが愛読している盆栽の本をぱらぱらとめくりながら他愛もない話をした。

とても丁寧な物腰と口調からは、人生の滋味深さを存分に味わってきた、ある種の豊かさのようなものを感じた。

老木だけどどこかみずみずしい、ずっしりと根をはっている。そんな印象だった。

 

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ちなみに訪れた当時、わたしは妊娠8ヶ月。井元さんはわたしの大きなお腹を見て、「悪阻がつらかったらアヘンを吸いな」と言って、展示物のパイプを指差して微笑んだ。この台詞はわたしの人生で名ゼリフベスト3に入ると言っても良いほどしびれるインパクトを残してくれた。

心からご冥福をお祈りします。

平戸、結局あそんで帰る

母を子守に召集し、取材先で遊んでいてもらう予定だったのだが、あまりの子の奔放っぷりにやむなく断念した。

「今日は公園に行って遊んで帰ろう」ということになった。

場所は平戸。天気は超快晴。

 

「日本最西端ならひょっとしてマスク売ってるかも」と母が言うので、近くのホームセンターに立ち寄る。

わたしは子とともに車内でお留守番をし、母がパパッと見に行くことになったのだがやはり完売していたそうだ。

代わりに除菌シートやスプレーなどのウイルス対策コーナーがでかでかと設けてあったそうだ。

ウイルス対策ソフトの売り出しみたいだったよ」と母は笑っていた。

平戸に来たら必ず行くのが熊屋菓子店だ。

お目当ては麩饅頭である。

みずみずしい生麩のもちもちとしたガワと、主張を抑えすっきりとした餡子が、わたし好みスイッチを連打する形となり、以来好物となった。

餡子嫌いのわたしでも食べられる饅頭として、川棚のかりんとう饅頭に次ぐヒットとなった。

母ともりもり食べながら、田平公園へ車を走らせる。

平日にもかかわらず、まぁまぁ親子連れがいた。

ここはわたしも幼少時代に家族とよく訪れた場所だった。

自分の子どもを連れてくること自体もそうだし、当時よく遊んだ遊具が残っていたことも感慨深い。

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子はようやく、親の手に引かれるというわずらわしさから解放された喜びからか、暴走したおもちゃのように歩き狂った。

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見るものすべてが新鮮なのだから仕方がない。

公園はかなり広く、子は砂場と芝生をメインに行き来しながらぐるぐると歩き回っていた。

そういえば、砂にさわらせるのは初めてだったかもしれない。

土俵にあがった力士が塩を撒くかのように、掴んだ砂をなんども宙に放り投げていた。

ざあ、ざあと音がする。子は無心で繰り返していた。

 

どうせなら展望台あたりまで行こうと歩いたが、かなりの距離だった。

公園最大の遊具であるロングスライダーのあるところまで行く。

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▲海を望みながら高台を登る

 

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▲ありがとう宝くじの売上

 

以前はローラーだったのだが、安全を考慮してか老朽化のせいか普通の滑り台のようなつくりに変わっていた。

そういえば、ローラーはスピードが出て楽しかったけども、普通にお尻を痛めたり手の指やら皮やらを巻き込んで怪我をしたという話も聞いていたので危なかったんだろうな。わたしは滑った後にお尻がかゆくなるところも含めてファンだったので、それがなくなって少しさびしくはあるのだが。

 

子を抱える形で、ゆるゆると滑った。

まぁまぁスピードも出てたし景色も最高だった。意外にも子はノーリアクションだった。

母は後ろからゆるい笑みを浮かべて後を追ってきた。

満足して帰った。良い息抜きだったと思う。

その晩、子は泥のように眠り、わたしも朝起きれなくなるほどには身体が疲れていた。もっとも、親子三代で楽しい時間を過ごせたので気持ちは晴れやかだった。

取材はまた改めて行かねばならない。麩饅頭もまた買えるのでラッキーだと思うことにした。