自然の光が目に眩しくて
夫の友人夫婦と友人親子の計8人で集まることになった。
なぜかサムゲタン担当となったわが家は、セブンイレブンに寄ってから友人夫婦の家に行く。3人の乳児、幼児と大人5人がひしめく大所帯の空間になった。
「なんだこれは」この時点で、わたしの現実に対する確認作業がはじまった。
それは新しいことでもあり、また自分が幼いころに経験したことの再体験でもあった。
もちろんいまのわたしの役割は母である。
こんな一文を書いていても、母はわたしのことなのかわたしの母のことなのかわからなくなる。
ああいまはまさに、家系図に沿って生きている、そんな感じがするのである。
恒例の、わが子同士のボーイミーツガールが始まった。
友人夫婦の子はとてもすくすく成長している。
すでに体重がわが子の2/3を超えていた。追い越されるのも時間の問題である。
互いに向き合って接近しあったり足同士をくっつけたり、親がわちゃわちゃとやりたい放題である。
そんなときは大体色んな方向からアテレコされる。
夫はもちろん真顔ではなく、溶けた減塩チーズのような表情をしていた。
一方、夫の友人女性が連れてきた1歳半の子は、器用に立って歩きまくっていた。
子どもの1歳差のデカさを思い知らされる。
30代にもなれば、10歳差でも大して気にならないというのに。
体幹が備わっているのが目に見えてわかるし、なによりムチムチ感を卒業してスマートだ。
もちろんこれは身体の発達成長の違いであって、デブと痩せの違いとはまったく意味が異なる。
こんな大きな変化がわが子にも1年半後に待っている。
ほんとうに未知の世界である。
まだ遊びの途中だったが、わたしだけ家を抜け出した。
以前から予約していた、演劇の公演を観るためである。
比良町にあるカフェで定期的に行われているもので、朗読や絵本の読み聞かせなど、小さなスペースを有効活用した佐世保では新しい試みだ。
店内の席はほぼ馴染みの観客で埋め尽くされており、和気あいあいとした雰囲気だ。
たまに演劇をしていた友人と並んで座る。
彼女は臨月で、いよいよ再来月には出産を迎える。
先輩ママとしてのアドバイスを求められるが、思っていたより記憶が薄れていることに気がつく。
陣痛の痛みや、入院時必要だったアイテムなど。
あのときの臨場感を思い出そうとすると、頭の中の記憶だけでは追いつかない気がした。
それだけ、子育てに関しては上書きされることが多いのだ。
しっかり文章化しとけばよかったと今さら後悔した。
演劇公演は大盛況におわり、ちょっとした会話を楽しんでからホクホクと夫たちと合流した。
とりあえず今から散歩に出ようということになった。
家が市街地にとても近いので、テクテク歩いてアーケード方面へ向かう。
抱っこ紐、ベビーカー、手をつないで。
3通りの歩行パターン、ああファミリー感。
いままでアーケードを歩いていても、家族連れやママ友同士が並んでベビーカーを押して歩く光景は風景の一部だった。
まさか自分がその立場になるとは夢にも思わなかった。
きっとそう思っているのは他の人も同じで、いかに自分をエモさに追い込もうかとしているようでもあった。
玉屋の屋上へ行き、景色を眺める。
ビアガーデンへ続く連絡通路からは、親和銀行本店の建物の大部分が見えて興奮した。
100円遊具であそぶ、玉屋のサンドイッチを食べる。
かつて子どもの頃の自分が辿ってきた道。
世代が変わった。
家系図が下に伸びた。
エモくないわけがないじゃないか。
帰りの佐世保公園では、興味だけで一直線に突っ走る子を夫の友人女性が必死にディフェンスしながら後を追っていた。
西日が公園の遊具や遊ぶ子どもたちをきらきら照らしていて、きれいだった。
明治安田生命のCMかな?光が眩しくてなんか視界がにじむなぁ。気のせいかなぁ。
カメラ好きな夫と友人は撮った動画を観ながら「自然光最強だよね」とコメントしていた。
1日を通して夢か現実かわからないほどとても叙情的だったが、現実的な課題として抱いたのは、1年後に向けて子どものハイパワーに耐えうるだけの体力をつけておかねばということだった。
【記事を書かせていただいてます】
【日常あれこれ】
演劇観て夫の友人ファミリーとアーケード周辺を闊歩して、なんだーもうこれは夢じゃなかろーかね
— chirolpakutiaji (@chirol1660) 2019年3月17日