「がんばる」より「やるばい!」
朝起きて、夫と「がんばる」というワードのズルさについて話した。
それを言われてしまうと、とりあえずこちらとしては一度「うん」といわざるを得ないからだ。
しかしよくよく考えてみると、わたしもよく「勉強になります」だの「がんばります」だのというフレーズをよく使っている気がする。
自分をなんとなくよく見せようとする逃げワードにほかならない。
まだ、「やるばい!」のほうが強い意志が感じられるのではないだろうか。
夫を職場まで送った帰り道、勢いで淡島神社へドライブした。
九十九島の島の1つに位置する神社で、安産や女性特有の病気にご利益のある龍神が3体祀られている。
本殿前には、子どもの背丈よりも小さいミニ鳥居があって、くぐると良いとされていることで県内外から多くの参拝客が訪れている。
佐世保でも屈指のパワースポットであるが、ポケモンGOではなんとジムになっていて、宮司が育てたカイリューが君臨していたという、わたしのなかではとても面白いスポットだ。
神社へ行く道はクネクネとしているうえ、狭い。
前職で、「佐世保のグラフィティアート」的な企画で訪れた家がまるごとなくなっていた。
「ミキモス」の文字とともにあの有名なネズミが、シャッターに描かれていた。
以前は駄菓子屋だったらしい。
そういえばここは空家で、亡くなった持ち主の家族が離れたところに住んでいると聞いていた。
やっと処遇が決まったのだろう。
神社の敷地内にたどり着いた。
車を停めて、抱っこ紐を装着し、子をぶら下げながら参道を登る。
7.5kgはなかなかにキツかったが、朝の空気と小さい森のような小道が気持ちをスッキリとさせてくれた。
本殿へ続く道の脇からは、2体の龍神が祀られている「竜神橋」へ行くことができる。
道はしっかり整備されているが、木の根っこや岩の凹凸はどうしても出てしまうので、慎重に歩いた。
頭上でブブブと飛び回るアブにビクビクしながらしばらく歩くと、視界がひらけて青い海が見えてきた。
竜神橋だ。
朱色に塗られた手すりは、ここが神聖な場所なのだということを思い出させてくれる。
この橋をわたればあとは御神体が見えてくるのだが、
静かな海を眺めているうちに満足してしまった。
正しくは、波によってなめらかな形に浸食された岩を見て、である。
謎の満足感とともに来た道をもどった。
子は昨日とはうって変わって、とてもご機嫌だった。
寝返りもいつもより多めに回っております状態だ。
こちらから何もしなくても笑ってくれる。
おもちゃを与えれば夢中になって遊ぶ。
すやすやと寝る。
完全に手がかからないモードである。
この機会を逃すわけにはいかないと、記事を1本仕上げた。
とても達成感があったが、ひとえに子のおかげである。
お義母さんと、機嫌の良い子をニコニコ見て話をしていた。
ここのところ、毎日のように「大きくなった!」と話す。
いわれてみれば、なんだか縦に少しずつ伸びているようだ。
気のせいかもしれないが、日々成長しているのだ。
お義母さんが、たまたまそばにあった手ぬぐいで、子にターバン巻きをした。
とても似合っていた。
私たちが笑っているのにつられてか、子も両手をブンブン振り回しながら喜んでいた。
お義母さんにターバンしてもらったよ。「新茶の季節だよ〜」と言っているようにしか見えない、と妹2。
夫がイベントのミーティングから帰宅した。
今朝、淡島神社へ行ったことを話したが、まるで昨日のことのような感覚がした。
これまでにはない活動時間の長さのおかげだろうか。
12時間前のできごとなのだが。
昨日、お義母さんがつくってくれたアヒージョが美味しすぎて、スープ皿いっぱいに食べた結果、胃もたれで夜眠れなかった話を夫にした。
「美味いのにお腹痛い、けど食べるのやめられない、美味しい、お腹痛い…ってさ、地獄の責め苦みたいだね」と面白いことを言うのでわはは、とひとしきり笑ったが、
そのアヒージョの残りをたらふく食べた夫はその日の夜中、腹痛でグロッキーになっていた。
【記事を書かせていただいてます】
【日常あれこれ】
スマホをさわる子。夫の友人とビデオ通話をしている。
早朝から動いた記憶は、今となっては昨日の記憶。
— chirolpakutiaji (@chirol1660) 2019年4月17日