ビジネスあんこは食べられる
午前中は藤山神社へ藤の花を観に行った。
スタイがぐるりとうしろに回っておる。藤の花は満開直前#花見 #藤 #藤山神社 #佐世保
満開直前。
あちこちでアブがホバリングを披露していた。
その後妹1と、実家に遊びに行くことになった。
まずは腹ごしらえを、ということで大塔イオン近くのMKで待ち合わせる。
到着時間を尋ねられたのでおよその時間を答えた。
そしてその時間近くに到着したが、妹1はその15分後に現れた。
どうやら、わたしがあまりに時間にルーズすぎるため、対策として“15分遅く到着する”ということにしたらしい。
これまでの所業を思い返すと、納得の方法だったし、諦められている感がすさまじい。
しかし、しかしだ。
いまのわたしは以前とは違うのだ。
特に、食べ物が絡むと時間通りに動ける。大好物ならなおさらだ。
そのうえ、今回は子連れである。
子連れでの行動はとにかくリスクが多い。
時間通りにいかないとなにかと困ることがしばしばだ。
そんなわけで、集合時間に対してのボロッボロだった倫理観は、多少はマシになったのである。
とはいえ、妹1にとっては散々してやられているわけなので、そう簡単に信用してもらえそうもないのだが。
レストランは、平日なためか店内に客はあまりいなかった。
店員さんからは、ベビーカーが置ける奥の席を案内された。
何度か来店しているが、初めて座る席である。
やはり子どもを持つと、色々と立場も変わるものだ。
妹1と、迷わずしゃぶしゃぶと飲茶の食べ放題を選択して、話をしつつもりもり食べた。
子はベビーカーに座ったままだったが常時ご機嫌で、表情豊かな妹1のほうを見てずっと笑っている。
ミルクせんべいを与えつつ、締めの時間まで休むことなく食べた。
イオン大塔店に行き、もろもろの買い物を済ませてタピオカドリンクを飲む。
かなり久しぶりだが、まるで常連のごとく「甘さ控えめで」と注文した。
オーダーを待っている間、最近リニューアルしたサーティワンアイスの店を覗くと、なんと店頭に「30周年記念の超クールなチョコミント発売!」と宣伝幕が張ってあった。
ちょっぴりわなわなとふるえた。
来たタピオカドリンクを飲む。
タピオカとの相性は抜群である。
時間もないし飲みながら移動だね、ということで、ドリンク片手にそれぞれの車で実家へと向かう。
イオン大塔店から実家までは車で10分とかからない。
タピオカドリンクを飲みきれなかったので家の中で飲ませてもらおうと手に持って車から降りると、妹はすでに飲み切っていた。
実家は、父の彼女によって外装からインテリアまでガラリとリメイクされている。
まるで他人の家かのように、呼び鈴を押して待つと、父が招き入れてくれた。
「おじゃまします〜」と中に入る。
実家の感覚はもうない。
父は、お正月ぶりの孫の来訪に目尻を下げて喜んだ。
父の彼女も、そんな父を微笑ましく見つめている。
自慢ではないが、父は初老にしてはまぁまぁのイケメンである。
イケメン爺である。
今回の訪問には、子を父に会わせること以外にもう1つあった。
家族で訪れた「西海楽園」の写真をもらうためである。
以前父に電話したとき、写真があるか探しといてくれないかとお願いしたのだが、ちょっと難色を示された。
というのも、わたしの母が写っている昔の写真をゴソゴソあさっているところを彼女に見られたら、良い気分ではいられないだろう、という男女の事情である。
まぁたしかにわからなくもないので、わたしが実家に行って探させてもらうことにしたのである。
アルバムは、2階の大きな洋服タンスの上にまとめて置いてあった。
妹1にも手伝ってもらいながら、脚立を使ってタンスの上にあるアルバムたちを数冊ずつ取り出した。
アルバムは古いダンボールの中に入っていて、箱ごと取り出すのはとうてい無理があった。
その箱の下には、わたしの名前が書かれたボックスがあった。
中を見てみると、おそらく新生児の時に着ていた服と、画用紙に描かれたさまざまな絵が大事に保管されていた。
デジタル化できない手ざわりと空気がそこにはあった。
あまり時間もないので、思い出に浸りすぎないようにぱっぱとアルバムをめくる。
お目当ての写真はすぐに見つかり、持ち帰り用の袋に入れていった。
アルバムはわたしたちが幼稚園以下の年齢ほどのときに撮られた写真が入ったもので、いまでは亡くなってしまった祖父母や親戚たちが、そこでは生の時間を刻んでいた。
もちろんいまも交流のある母方の従兄弟家族の写真もあったが、時間の経過を実感するばかりである。
母方の祖父母や親戚の写真は、できるだけ抜いて持ち帰ることにした。
この家にあっても仕方がないものだからだ。
親戚家族でお出かけした時の写真だ。ポーズを決めている前方のわたしより、後方の妹に大人たちの注目が集まっている
「おやつがあるから降りてこんね」と階段下のリビングから父が呼びかける。
母が家を出た後、料理を作っていた父親はよくこうして「晩御飯ができたよ」とわたしたちの部屋に呼びかけてくれたものである。
「そんな時代もあったよねぇ」と妹1と言い合いながら、作業を切り上げ父のところへ向かった。
テーブルには、早岐ケーランとレモンケーキのようなお菓子が小皿に仲良く並んでいた。
そして横にはカルピスが添えられていた。
「わぁ、そんなわざわざよかったのに。ありがとう」と言って席に座る。
妹1はわたしのほうに何か言いたげな目線を送っている。
わたしはあんこが苦手である。
しかし、まったく食べられないわけではない。
ガワの美味さに完全に気を取られたときのあんこと、わたしがあんこ嫌いだということを知らずに人前で出されたあんこは、かろうじて食べることができるのだ。
特に後者のことを、先方の気を悪くさせないようさまざまなことを取り繕って印象を良くするものという意味を込めて、ビジネスあんこと呼んでいる。
ビジネスあんこである場合、好きだの嫌いだのという話ではなく、「きみはこういう性質なんだね。そこから良いところを導き出すように努力しますね」という、あんことわたしとの腰を据えた会話になる。
いま、目の前にあるケーランは、ビジネスあんこである。
ケーランは、まず、食べたことがない。
これだけでも十分、良いところに値するのである。
「初めて食べたー!」という感想のみで、なんとか一本食べ終えた。
わたしの気持ちはすっかり沈んでいたが、なんとか浮上させるある作戦があった。
ケーランの隣に添えられたレモンケーキのようなものである。
父の彼女いわく、「東京で買った洋菓子」とのことだった。
これでいま口の中に残っているあんこの思い出とおさらばできるというわけだ。
わたしはすぐさまカルピスを一口飲んでから、お口直しに洋菓子にフォークを入れた。
なかには白あんが入っていた。
【記事を書かせていただいてます】
【日常あれこれ】
小林亜星のようにみえる