ヤマモトチヒロのブログ

佐世保在住フリーライターです。育児日記に混じって、地元佐世保の歴史や文化、老舗や人物について取材撮影執筆した記事を掲載しています。

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【平成遺産・西海楽園】黄金色の夢をみにゆく

 

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われこそは「七ツ釜聖観音」ぞ!



西の地・長崎県西海市にどうしても忘れられないスポットがある。

バブル期に花開き、“光り輝く黄金の仏像群×美しい花園×レジャー施設”というなんとも贅沢なコラボレーションで多くの人を賑わせた「西海楽園」だ。

現在でいうところの典型的な“B級スポット(珍スポット)”である。

かの有名なサイト「珍寺大道場」や「日本珍スポット100景」など、とにかくその手のメディアには必ずと言っていいほど取り上げられていたので、ご存知の方も多いだろう。

chindera.com

bqspot.com

なぜこの組み合わせなのか。いま考えればとても異質だし、当時の人々にはおそらくそんな認識はなかった(と思う)。

当時小学生だったわたしを含め、純然たるレジャーランドとして足を運んでいたことだろう。

 

 

そもそもなぜこんな施設が誕生したのか?

バブル期にありがちな、資産家の道楽だけでつくられたものなのか?

 

その理由を探ろうと思い立ったあるとき、すでに2007年に閉園していたことを知った。

もう数年が経っていた。

ものすごくショックだったことを覚えている。

 しかし、同市で行われている春の恒例イベントで、西海楽園跡地が特別開放されていることを知ったので、喜びのあまり前につんのめりそうになりながら、夫と子を連れて早速向かった。

 

記憶の中にある、光り輝く仏像と花々の光景。

そんなかつて見た黄金色の夢が、また見たくなったのだ。

 よければわたしと一緒に、しばらくお付き合いいただきたい。

 

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西海楽園の入門ゲート。「いのりの里」のフレーズが宗教色満載だけど、たぶん誰も気にしてなかった(1990年当時の写真)

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現在はこんな感じ。かつての賑わいは見られないが、右手にある居酒屋はいまも営業している(2019年3月時点)


近隣のかたの話によると、閉園してから既に12年が経つが、県内外からわざわざ足を運ぶ人が絶えないという。

懐かしさとB級スポットの両面でいまだ根強い人気を誇っているのだ。

 

 

で、結局どんな施設だったの?

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開園初期のころの地図。いろいろ増える前のもの



『西海楽園』は、「七ツ釜観光ホテル」を核とするレジャー施設運営会社によって1990年(平成2年)に設立。

約20万平方メートルの広大な敷地には桜やあじさいなど四季折々の花が咲き乱れ、子ども向けプレイランドや草スキー場、スライダー付きプール、バーベキュー施設などが揃っていた。

 

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観光ホテルと広大な娯楽施設を生み出したのは、西海市名物である「七ツ釜鍾乳洞」だ。通年15℃前後に保たれており、夏場は涼を求めて各地から人が集まる(資料は1990年当時のもの)

 

後述するが、『西海楽園』はあまりに広く高台にある。

そのため、500円で送迎バスが走っていたようだ。

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バスというより、トラックの荷台に座席を設けて屋根を取り付けたようなつくりだった。添乗ガイドもいたらしく、景気の良さがうかがえる

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バスの絵柄は、アウトに近いけれどもご愛嬌だ

 

またここは、従来の地形からなる石灰藻球化石群をまとめて見ることができるという、大変珍しい場所でもあった。

それはいまもしっかり残されているし、いまでもやはり珍しいのだ。

3億年前から続く太古のロマン。

化石ファンにとっては垂涎ものである。

 

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カッパドキアかな?いいえ、石灰藻球化石群です

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30年近く経つけどそんなに変わってない

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まるで迷路だ

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看板だけは新しいの

 

 

そして、「西海楽園」数あるコンテンツの最大の目玉といえば、高さ40mにもおよぶ「七ツ釜聖観音だ。

もう一度言う。

「ななつがま・せいかんのん」だ。

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見よ、このラスボス感

言わずと知れた、園内ナンバー1の記念撮影スポットである。
北部九州のおじいちゃんおばあちゃんがいる各ご家庭には、少なくとも1枚は眠っているはずだ。記念写真が。

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その巨大さゆえ、フレームアウトしてしまうことも多々ある

 

ちなみに、あんな巨大なものをどうやって建てたのかという疑問(子どもの頃は、勝手に生えてきたと思っていた)だが、この写真を見れば一目瞭然だ。

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空に、そびえる♪

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ふんふふー、パイルダー、オーン!

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パイロットたちの集合写真にも見える

観音像のなかは空洞だ。

ちょっぴり漂うチープさは、やはりバブル期ならではだといえる。


ちなみにこの観音像、ある大きな台風に見舞われた際に、頭と後光が吹き飛んでしまったそうだ。

直ちに修復が施されたが、後光はそのまま取り外されることになったという。

 

数キロ先からも存在が確認できるほどの巨大さは、当時周辺の建築物では他に類をみることがなかっただろう。

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やっぱりでかいよ

 

「いのりの里」の本領発揮、仏像エリア


そんな「七ツ釜聖観音」をはじめとした仏像群は園内至る所に点在していた。

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ここをくぐれば仏ゾーン

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神社のようにお守りなんかも売られていたようだ

現在はかろうじて門の形は保たれているものの、ところどころが立入禁止になっている。

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立派な門だ

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両側の仁王像は健在

 

同園自慢の花壇が美しい『十二支・七福神霊場だ。

春はチューリップや菜の花、夏は紫陽花、秋はコスモスといったように四季折々の花々が人々の目を楽しませていた。

ぐるりと広場を取り囲む、金色に輝く仏像とともに。

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ここも記念撮影スポットとして絶大な人気だった

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そりゃあもうぐるりと

 

「まるでここは極楽か?」というような景色がそこには広がっていたのだ。

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そんな神々しさを感じつつ、記念撮影は至ってフランクだった

 

ところで“十二支御守本尊”ってナニよ!?というところだが、その名の通り十二支によってそれぞれの「お守り本尊」が定められているといわれているものだ。

その起源は易学の八卦に通じるといわれている。

明確な理由付けは不明らしく、そのあたりは疎いので割愛させていただく。

当時はそれぞれの“推し仏”とチェキ会をやっているような感覚でしかなかったのだ。

もしくは自分をカテゴライズする行為に近かったように思える。

「わたしの干支はねずみだからこの像が守護神だわ」という風に、自身をセーラー戦士に例えるかのような廚二ゴコロもそこにはあって。

 


ちなみに現在は、仏像はすべて撤去されている。

なんだかもの悲しいが仕方がない。自然のなせる姿だ。

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 水子三観音』。ここで水子供養が行われたりしていたんだろうか。

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背後に滝が流れる涼感スポットだったが・・・

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いまはもちろん水は枯れてしまっている。浄財の箱や子ども像の前掛けなどもなくなっている

 

写真の奥に見える黄色いお堂は『五百羅漢堂』だ。

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お堂の両側には500体のチープな羅漢像が。浄財箱もいっぱい並べられていて、「宝くじをここで当てた!」という拝観者からの感謝の手紙が貼られていたりととってもカオスな空間だった。ちなみに、このなかのどれか1体に、自分のお祖父さんに似たものが必ずあるといわれていた

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2019年3月時点。いまもお堂の中はそのままで、多少のカビ臭さと埃っぽさはあるものの綺麗に保たれている

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1体1体が違うもしくは同じ像・・・というわけではない。中途半端に同じポーズや表情のものがざっと10種類ほどあった

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わたしのお祖父さんお祖父さん・・・。残念ながら、眼鏡をかけた羅漢像はいなかった

 

お堂を出て緩やかな坂道を登ると、化石藻石灰群のあるエリア『化石の森』へと到着する。

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十三仏が道沿いに並び、ここで1体1体手を合わせながら坂を登る人も多かった

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蓮の台座だけを残し、石仏たちはどこかへ行ってしまった(2019年3月時点)

 

また、敷地内にはこんなものも。

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現在は立ち入り禁止になっているが、仏像が並ぶ鍾乳洞で、長さは50mほどあるとのこと。かつて殉教したキリスト教宣教師・金鍔次兵衛(きんつば・じひょうえ)が身を隠した場所ともいわれている

そばにあった看板の文字はほとんど読めず。

隠れキリシタンゆかりの地としても知られる西海市だが、まさかここにも史跡があったとは。

 

 

多くの家族の休日の助けとなったレジャー施設

 

園のさらに奥には、多目的レジャー施設が点在するエリアが広がっていた。

これでもかといわんばかりだ。こちらはもう仏像だけでお腹いっぱいだというのに。

1日中遊びつくせる圧倒的ボリュームである。

だってゲームコーナーだって、

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草スキー場だって、

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スワンボートだって、

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あったんだから。



 

また、『一万人コンサート広場』では観音像をバックにさまざまなイベントが催されたそうだ。

ネーミングにとてもドリーミーなものを感じるのはわたしだけか。

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イベントなども行われていた広場。まさに観音様のおひざもとで

夏祭りでは多くの人出があり、夜空には大輪の花火が上がっていたそうだ。

冬にはマラソン大会で賑わったとも。

なんだそれ、そんな面白いマラソン大会、体力がまったくないが喜んで走りたい。

 

この広場だが、決して名前負けしていなかった。

千昌夫など、いまでは超御高名な演歌歌手の方がまだ駆け出しだった頃にコンサートで訪れたこともあったそうだ。

アーティスト界隈では、【西海楽園でライブをするとヒットする】というジンクスが囁かれていたとか、いないとか。

 

 

レジャー施設にはつきものな、お食事処や土産処も充実していた。

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地元名物が揃っていた「樂屋(らくや)」


こちらのお食事処は、「観音亭」。とてもありがたい店名だ。

メニューにも観音関連のものが並んでいたりしたのだろうか。

鉄観音入りのウーロン茶しか思い浮かばないのだが。

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どこを見ても賑わいが絶えず、1992年にハウステンボスが開園するまでは九州北部を代表するレジャースポットだった。

その後徐々に人の流れが変わり閑散としていくなかでも、地元の人にとっては、最も身近な憩いの場としてずっと親しまれていたのだ。

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かつての賑わいを残し、いまでは兵どもが夢のあと

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おつかれさまでした

 


 

開園のルーツは〝天のお告げ?〟

ようやくここで、『西海楽園』誕生のルーツに迫る。

元経営者の方にお話を聞くことが叶わなかったので、地元の方々に尋ねて回ってみることにした。

すると、ほとんどの方から「オーナーさんが天の啓示を受けたことがきっかけで」という答えが返ってきた。

 

天の啓示や夢のお告げというワードは、とてもスピリチュアルな響きながらも、高度成長時代やバブル景気期につくられた施設においてはよく耳にする。

あれだけの規模と内容を見る限り、理屈ではないものでつくられたものだと言われても全く不思議ではないのだが、果たしてそれだけだろうか。

 

さきほどもふれたが、この施設は、当時西海市の経済の一端を担った「七ツ釜観光ホテル」が母体となっている。

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観光客を多く受け入れ、西海市の経済の一端を担っていた。地元住民の冠婚葬祭など、各種ライフイベントには欠かせない場所だった

「西海楽園」は約20億円を投資してつくられ、2002年(平成14年)には7億円台の売上を記録。

しかし2007年(平成19年)に、ホテルの倒産と共に閉鎖することとなる。
オーナー亡き後も跡を継ぐ人は誰もおらず、まるで夢から覚めるように静かにその幕を閉じたのだった。

 
その後も続けて『西海楽園』誕生のきっかけを色んな方にヒアリングしていくなかで、「オーナーさんの身内に突然の不幸があったことがきっかけでは」という声があった。

 

なんでも、観光ホテルの広い敷地内にあった大きな池で転落事故があったのだという。

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30年経ってもなお綺麗に残っている観光ホテル跡地。この敷地のどこかで、悲劇が起きたのだ

 

オーナーの身内の方にも直接聞くことが叶わなかったので推測してみる。

園内各所には、墓石に使用される御影石が本殿の塀や仏像の台座など至るところで使用されていた。

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塀などに使用されていた御影石

そして、「いのりの里」というフレーズが示す通り、失ってしまった大切なひとに向けての祈りをこうした巨大な施設として形に残したかったのではないだろうか。

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当時発行されていた色紙サイズのポストカードセット

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メインはあくまで仏の世界だ。オレンジ色の紙には、「長崎の空に太陽は西から輝いてくる。」の冒頭文に続き、観音様の説明がびっしりと記載されている


あくまで推測の域を出ないのだが、個人的には腑に落ちた。

 

 

黄金色の夢は、どこへゆく

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今後、『旧西海楽園跡地』は、今後どうなってしまうのだろうか。

聞くところによると、広大な敷地は同園のオープン前から多数の所有者がおり、現在も所有権はそのままだそうだが持て余している状態だという。

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土地所有者たちの畑、ソーラーパネルなどが敷地の大部分を占めている

清掃や草刈りなどの手入れは施されているが、再開発の目処は立っていないということだ。

 

一応表向きには、年1回の大きなイベントで期間限定の施設開放が行われている。

が、厳密には立ち入り禁止とはなっておらず、自己責任で園内を散策できる(2019年3月時点での情報です。以降はこの限りではありません)。

その際は周辺施設の人へ一声掛けるようにし、マナーを守って散策しよう。

 

 

あの仏像たちはいったいどこへ?

40mの巨大観音像をはじめとした仏像群は、一体どこへ消えたのだろう。

閉園後は、七ツ釜聖観音像は安全のため真っ先に解体されたそうだ。

その巨大なパーツは福岡のどこかの森林にひっそりと眠っているという。

思わず、カンボジアの遺跡のような絵面が浮かんできた。

 

また、十二支本尊や七福神たちも、お寺など各地に散らばっていったとのこと。

ひょっとしたらどこかで、彼らと再会できるかもしれない。というかすでに叶っているのかも。

 

泡のように消えた、まさに夢のようなテーマパーク『西海楽園』。

 

仏像たちとともに光り輝いていた黄金色の夢は、かすかではあるが、多くの人々の記憶とともにいまもなお眠っている。

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 ※ご多忙な中、取材にご協力いただきました西海市の皆さま、誠に有難うございました。