ファッションに疎い嫁がファッショニスタのお姑さんを撮るアカウントをはじめた話
Instagramで新しいアカウントをつくった。
これはもともとのやつで↓
新しくつくったのは、ファッションセンス皆無なわたしがファッショニスタのお姑さんをただただ撮り続けるほのぼのアカウントだ。
このアカウントでもしきりに伝えているように、お義母さんはファッショニスタだ。
物心ついた時から服に携わり、愛し続けて40年超。
とにかく持っている服や小物の数も、服の歴史やブランドの知識も、あの日どんなコーディネートで過ごしたかという記憶力も、なにもかもが桁違いだ。
その凄さを伝えたいのだが、いかんせん、わたし自身がファッションに疎く語彙力も壊滅的なため、「とにかくオシャレですごい」としか表現できないのが情けない限りである。
そんなわけで、わたしなりに彼女がどれだけすごいのかを写真で伝えることにした。
わたしの目から見たそのままだから、テキストはおまけ程度に魅力が伝わるだろうという甘い考えでもあるが、これが一番だと思ったのだ。
(ファッションに疎い)嫁である立場でお義母さんにお声掛けをするには少々恐縮な部分もあったが、二つ返事で快くOKをいただくことができた。
当時のわたしの内心は「うおぉー、よかったぁぁー」であった。
記念すべき1回目にアップした写真。
お義母さんの服装は、1日たりともコーディネートがかぶることがない。
「オシャレに楽をしない」が彼女のモットーだ。
平気でパジャマで1日を過ごしたり、昨日の服をそのまま着回したり干して乾いたばかりの洗濯物から適当に着るものを見繕うわたしにはとても耳が痛い。
しかしそれだけ彼女は服に敬意を払い、愛している。生活に欠かせないパートナーである。
2回目は元旦だった。
亡き父の着物を颯爽と着こなす姿にシビれる。
古着には、持ち主の思い出が宿っている。
それが大切な家族のものだとしたら、そしてもうこの世にいない人のものだとしたら。
袖を通すとき、なにを考えるだろう。
果たして自分がまとっているのは服だけなのか。そうではないはずだ。
わたしが成人式のとき、祖母の着物を着させられた。着せられたというには語弊があり、正確には気に入ったので自分から着た。
「わたしも着たから、あんたにも着てほしい」と母から勧められたことがきっかけだ。祖母も喜んでくれた。
周りがそれぞれに好きな色の華やかな晴れ着に身を包むなか、わたしはアイボリーの質素なたたずまいだった。
ショールも祖母のもので、朱色に亀甲のような模様が入ってとてもおめでたさ全開だった。
同級生から「何かのママや!」とつつかれまくったのを覚えている。なんかのってなんだ。スナックじゃないんか。
祖母が亡くなった今、振り返るとあの着物を着ることができたのはとても良い経験だったとおもう。
今ならわたしはどんな気持ちで袖を通すだろう。どんな祖母の想いを汲み取ることができるだろう。
「着る」ことの意味を考えさせられた、元旦での撮影だった。
3枚目。スムーズに撮っている風を装っていたが、使い慣れないカメラと日没で薄暗いという環境で、わたしは手に汗をかいていた。
4枚目。わたしはこれまで、ポージングの指示は一切出していない。
本当に魅せ方がお上手なのだ。
写真を撮られるときピースばかりしてしまう自分を卒業せねばと心に誓った。
5枚目。恐れ多くて撮影に緊張していたわたしだが(自分から頼んでおいて失敗したらどうしようなどとガクガクしていた)段々と楽しくなってきた。
「写真撮って!」とお義母さんからの一声があると余計に嬉しい。ハイ喜んで、である。
めまぐるしく変わるお義母さんの服は見ていて楽しい。
可愛いともおもうし真似できないともおもうし、これならわたしにもイケるか!?など、たくさんの刺激をくれる。
これからも撮り続けるのが楽しみだ。
そんな感じだ。
これでわたしの服装が少しはマシになるのかとか、そういった自分への還元はあまり考えていなくて、とにかくお義母さんへのリスペクトが表現できればそれでよいのです。
1年分ほど写真を撮り溜めたら、何かしらの形に残したいと密かに考えています。
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【日常あれこれ】
やー、タートルネックのニットもエロいしスーツもエロいわ。良い一日だった。夫の話です。
— ヤマモトチヒロ@佐世保在住フリーライター (@chirol1660) 2020年1月12日