閉館した井元コレクションについて
平戸市崎方町に「井元コレクション」というコレクション館があった。
平戸焼(三川内焼)をはじめとする陶器や磁器、平戸らしいオランダやキリシタンゆかりの品々、それに加えなぜかインドの神々の彫像や春画など、非常にアクの強いアイテムの数々が展示されていた。
管理は91歳のおじいちゃんが行っていた。当然彼は、館長でありコレクターだ。
元特攻隊で、平戸ではかなり幅をきかせた有名人だったそうだ。町を歩くと、旅館やら商店やらで井元さんの苗字を見かける。
そんな井元さんだが、2019年末に天寿をまっとうした。それに伴い、コレクション館は閉館。
コレクションは全て売却処理がなされ、現在は外見はそのままに中はがらんどうの状態である。
わたしは以前、ここに家族で2度訪れたことがある。
1度目は夫と二人で、2度目はお義母さんと一緒に行ってキャイキャイ騒いだ。
井元コレクションの存在を知ったのは夫のおかげだ。
彼と観に行った都築響一さんの展覧会「僕的九州遺産(2016 三菱地所アルティアム)」がそのきっかけではなかったかと記憶している。
2018年の夏、2度訪問したときのことをまとめて振り返りたい。
▲忘れもしない、じりじりとした真夏日。昔の風合いを残す通りには、土産物屋やカフェ、旅館などが立ち並ぶ。
▲井元コレクション入口に立て掛けられた札。達筆の手書き文字と展示品の詳細からは「俺がコレクションしたんだぞ」という誇りが感じられる。
と、この時点ではまだ中に入ることはできない。
井元さんが駐在している「井元商店」に電話をし、呼び出して鍵を開けてもらわなければならないのだ。
「あのー、井元コレクション見たいんですけどー」
「あー、はい、はい。少しお待ちくださいね」
電話でそんなやりとりをしたあと、ほどなくしておじいさんがやってきた。
足取りと背格好で、結構なご高齢だとわかった。
炎天下のなか呼びつけてしまったことに若干の申し訳なさを感じつつ挨拶を交わす。どちらからですか、佐世保からです、ぐらいな軽い会話だったとおもう。
ガチャリと鍵が回ったあと、扉がぎこちなく開く。
やや埃っぽいような湿っぽいような空気が、わたしたちをもわっと歓迎してくれた。
入館料300円を払い、コレクションに囲まれた空間に足を踏み入れる。
▲中はさほど広くない。両側にガラスの展示ケース、通路中央には紫檀で作られた彫刻や砂漠の薔薇、螺鈿細工の時計などが鎮座していた
▲平戸焼(三川内焼)の置物や壺をながめる
▲栗すごい、おもにトゲがすごい。つまんでキュッとするだけじゃこんなのできない
▲平戸焼の小皿を見ていると、井元さんはふらりと近寄ってきてケースの扉を開けてくれた。平戸藩のお殿様への献上品。さわってはいけないものをさわっているからか、手の皮膚の下がザワザワする。卵殻手(エッグシェル)と呼ばれる超薄手の技巧。うすうす0.02どころの騒ぎではない
▲わたしが一番グッときたのはこれ。オランダの豪華ディナーを記録した巻物絵。ディナーというより儀式料理かな
反対側にはインドの神さまたちが揃い踏み。
女神転生ファンのわたしは鼻息を荒くしながら「シヴァだ!ガネーシャだ!パールヴァティだ!ヴィシュヌだ!」と興奮していた。
中には日本への輸入NGなものもあるようで、どうやって持ち込んだのか聞いてみると「知り合いのヤクザさんに頼んだ」とド直球な返事をいただいた。
「町内会の寄り合いとかで、旅行とかいくでしょ。そこでだいたいみんな宴会でドンチャン騒ぎするんだけど、俺は酒が飲めないから、代わりに外ウロウロして色々集めたんだよね。酒じゃなくて、そっちに金使ってたの」
みたいなことを仰っていたが、その〝外ウロウロ”がどんな経路を辿り、さらにどんなアクションが行われていたのかを突っ込んで聞く勇気が当時はなかった。
だって、どう考えてもお酒を我慢したぐらいの金では手に入らないだろう、この品々は。
もっと掘り下げて聞けばよかったと、とても今になって悔やんでいる。
2階フロアには春画が至るところに展示されていた。
▲春画フロアなのに、ウエルカムマットがファンシー
▲部屋の照明は薄暗い蛍光灯のみ。ステンドグラスが綺麗だった
▲春画は美しい女性、少年、男女のシンボルをモチーフ化、擬人化したものなどバラエティ豊富。表現の方法や種類は現在とさほど変わっていないのかもしれない
展示品は葛飾北斎、喜多川歌麿、鈴木春信などなど大判の版画から、小さいハガキ、巻物サイズまで幅広かった。
「なぜ春画を集めてるんですか?」なんて、野暮な質問だなぁと思いその場で飲み込んだが、やはり聞いておけばよかった。
そしてフロア全体の写真を撮らなかったわたしに全力のバカヤロウを贈りたい。
「展示物の管理状態って、今の感じだとヤバいですよね。他にやってくれる人はいないんですか」と、夫が鉄球を投げつけるような質問を井元さんにした。
ぎょっとしたが、確かに、展示物は薄いガラス戸のみで守られており、室内環境がきちんと保たれているとはお世辞でも言えない。防虫防カビ剤的なものもない。
「俺以外にはおらんね」と、半ば諦めたように井元さんは答えた。
その言葉通り、1年後には持ち主がいなくなったコレクションたちは再び散り散りになる。
夫と2人で来た時もそうだったが、やはりそれぞれに注目するところが違う。
焼き物が大好きなお義母さんは、とにかく器に目を輝かせ「これはどこどこのナニナニで〜」「とても綺麗!」と感想のコメントを漏らしていた。
それに気を良くした井元さんが、とっておきの逸品を見せてやると、商店のほうへ案内してくれた。
▲井元商店内の応接スペースにて。なにかの組事務所ではない
至近距離でまじまじと井元さんを見つめたが、オシャレだ。
腕にはシルバーの重厚な腕時計がぎらぎらとした存在感を放ち、胸元からは同じくシルバーのネックレスがちらりと輝いている。
あれはひょっとしてプラチナだったかと思えるほど、わたしはすっかり井元さんの雰囲気と応接間の空間に飲まれていた。
「きっと若い頃はイケメンだったのね」とお義母さんが言う。
こんなことが言えるのは、お義母さんの年齢もあるが、物怖じしない強さのおかげでもあるのだろう。
わたしがせわしなくキョロキョロする中で、「器、どんなのだろー!楽しみ!」と楽しそうだ。
井元さんは、応接間の奥にある大きな冷蔵庫から、器の入った桐箱を持ってきてくれた。
冷蔵庫の扉が開いた瞬間、鯨の肉が少し熟成したかのような生臭いにおいがした。
なんだこの「なんでも鑑定団」的な光景は。
▲見せてくれたのは器と茶道具だった。
お茶と器にほとんど疎かったわたしは、名前を覚えていないどころか写真にすらきちんとおさめずただ目の前のやりとりをぼんやり見守っていた
▲もはやアウトレイジの登場人物にしか見えなくなってきた
ひとしきり器で盛り上がったあと、なぜか流れで井元さんの盆栽コレクションを見せていただくことになった。
ひとえにお義母さんのリアクションに嬉しくなってくれたおかげだろう。本当に彼女には感謝である。
▲応接間の奥にある勝手口を抜けると…
▲屋外に広がる、盆栽コレクション
▲小さな盆栽の1つ。まるで山水画そのものの世界だ
奥行きはさほどないが、縦に伸びた不思議な空間に盆栽たちがズラリと並べられていた。
またもきちんとした全体の写真を撮っていなかった。
それだけ眼前の光景に心を奪われていたのだと思い込むことにする。
それにしても、これだけの品種と数を育てるのはかなりの労力だろう。もちろんこれも一人でやっているらしい。
盆栽をひとしきり見たあと、井元さんが愛読している盆栽の本をぱらぱらとめくりながら他愛もない話をした。
とても丁寧な物腰と口調からは、人生の滋味深さを存分に味わってきた、ある種の豊かさのようなものを感じた。
老木だけどどこかみずみずしい、ずっしりと根をはっている。そんな印象だった。
ちなみに訪れた当時、わたしは妊娠8ヶ月。井元さんはわたしの大きなお腹を見て、「悪阻がつらかったらアヘンを吸いな」と言って、展示物のパイプを指差して微笑んだ。この台詞はわたしの人生で名ゼリフベスト3に入ると言っても良いほどしびれるインパクトを残してくれた。
心からご冥福をお祈りします。