ヤマモトチヒロのブログ

佐世保在住フリーライターです。育児日記に混じって、地元佐世保の歴史や文化、老舗や人物について取材撮影執筆した記事を掲載しています。

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ヤマモトチヒロについて

ヤマモトチヒロについてのプロフィールです。

 

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山本千尋

佐世保在住フリーライターです。紙媒体とWeb両方で企画・取材・撮影・執筆を行っています。

1986年佐世保生まれ&在住。地元週刊紙の編集記者を2年経験し、2018年10月よりフリーライターとして活動しています。

 

 

執筆させていただいてます

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・観光

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・体験、検証もの

・リライト

 

ヤマモトチヒロのブログについて

日々の雑記に加え、個人的に取材し執筆した記事(佐世保やその近郊で気になった歴史や文化、老舗や人物など)、関わったお仕事の報告や感想などを掲載しています。

 

日々の雑記など

pkyamamoto.hatenablog.com

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おっちゃんの墓参り2023

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年の瀬に、久しぶりに家族が集まったので「おっちゃんの墓参りに行こう」となった。

おっちゃんとは、私たち姉妹が小さい頃大好きで、よく遊んでもらっていたおじちゃんのことだ。

今は亡くなっているが、父方の祖母は育ての親のトヨノさんと生みの親のヤスエさんの2人居て、おっちゃんは彼女たちのボーイフレンドだったらしい。

血は繋がっていないが、私たちはまるで親戚のように仲が良かった。

トヨノさんはよくホームランバーをくれて、私たちがそれを食べ終わる頃に「おっちゃん、孫たちば『まるたか』ヘ連れてってやりい」と言った。

嬉々としてタバコのヤニと整髪料の匂いが染み付いた車に乗り込み、スーパーまるたかへ。私の中ではお菓子の花形的存在だった「セボンスター」を買ってもらうのがお決まりの流れだった。

当時、ロッテリアが販売していた「たらもサンド」も、欲しいと言えば食べに連れて行ってくれた。初めてドライブスルーにチャレンジした時は、マイクへの話し掛け方が分からず、「こいどがんすっと?」とわざわざ車を降りてマイクが入ったボックスをゴンゴン叩いて店員を困らせていた。

「おっちゃんよう分からんばってん、本当に好きねぇ」と男前な顔をくしゃっとして笑うのが印象的だった。

そんなおっちゃんは、私が小学校低学年のある真冬の日に突然亡くなった。

真夜中に子供部屋の扉が開いて、「ちょっと出てくるけん、家におって」と、寝ぼけ眼の私に父が言った。語気は激しく揺れ、顔は青白かった。

当時の記憶はそれぐらいしかなく、おっちゃんは真冬の川でウナギを獲っている最中に倒れたということと、その遺体は検死のためか裸に毛布一枚の状態で、駆けつけたトヨノさんと父が「どうか暖かい服を着せてやってくれ」と遺体に縋り付いて号泣していたということを、これまたいつだったか母から聞いた。

 

おっちゃんの家はトヨノさんとヤスエさんの家のほぼ真隣で、狭い路地の細くて縦長いアパートの2階の一室に住んでいた。一度だけ部屋に上がったことがあったが、とても長居できる広さではなかったのを覚えている。壁一面には鳥籠がびっしりと並んでいて、たくさんのメジロが鳴いていた。70代の方々の昔話でよく「メジロを捕まえて、友人同士で鳴き声の美しさや体の大きさを競っていた」という遊びがあったことを聞いたが、それとは全く異質なものだったように思う。

どこから来たのかも、なぜここにいるのかも、素性も何も分からないけれど、大好きなおじさんが突然いなくなったことは私もショックが大きかったようで、彼のトレードマークだった帽子をしばらく大事に持っていた。タバコのヤニと整髪料の匂いが染み付いていて、嗅げばいつでもおっちゃんを思い出すことができたからだ。

 

おっちゃんの生まれは西海市大島という、かつては炭鉱で栄え、今は造船のまちとして知られているところだというのを知ったのは、亡くなった翌年の夏に墓参りに行ったとき。

おっちゃんの実家を訪ね、親戚から新鮮な刺盛をご馳走してもらいながら思い出話に花を咲かせた…のかは曖昧な記憶だ。

あれから数10年経ち、姉妹全員が結婚した今は、「ボットン便所の迫力すごかったよね」と、どうでも良いことだけを覚えている。

 

大島大橋をすがすがしく渡り、車を走らせながら地元の人々が暮らす景色に目を見やる。

「OSHIMA SHIP YARD」と書かれた大島造船所の大きなクレーンは、青い空にボディの赤と白がよく映えていて美しい。奥の方のクレーンに書かれた「心一つにガンバらんば」の言葉があたたかい。

スーパーは賑わっており、海風のせいか頭から錆をかぶったような軽バンが駐車場から勇ましく飛び出してきた。

近くに停まっている「八ちゃん堂」の移動販売に長蛇の列が出来ていた。赤ちゃんを抱っこしているお母さんの服の袖を、男の子が待ちきれないと言わんばかりにぐいぐい引っ張っている。

たこ焼きのビニール袋をぶら下げて、金髪の男女が歩いている。足取りに合わせて綺麗な髪がさらさらと揺れていた。

一度来たことがあるのに、やはり初めて見るものばかりだった。

 

漁港沿いの居住エリアの一角に車を停めて降り立つと、むわっと濃い海の香りがした。しかし真冬の風が吹き付けてひどく寒い。

姉妹で固まっていると、「寒かけん、はよ行こうで」と、ウインドブレーカーの上にデニムジャケットを羽織った半分よそいきな格好の父が、やたら鮮やかな仏花のブーケを風でバサつかせながらやってきて場が一気に賑わった。

両手を脇の下で温めながら、妹夫婦たちと公営墓地へ続く坂道を登る。「寒いですね」と微笑みながら一緒に登ってくれている義理の弟たちは、この謎の人物の墓参りについてどう思っているのだろうか。結局聞くことはできなかった。

仏花を供え「おっちゃん、来たよ」と父が墓に声を掛ける。強風のため線香に火をつけるのは諦めた。

おっちゃんの墓参りは久しぶりだが、毎年祖父母の墓参りに行くときも、こうして父は墓に「来たよ」と話し掛ける。そこから流暢に語り出すことはないけれど、私たちの目線も多少意識しながら「うん、ね…」と考え事をしたり、胸中で想いを伝えているであろう沈黙が流れる。そしてそれは、小さな「っし、またくっけんね」の言葉で締めくくられる。時間や次元をちょっと超えるような、この短い時間が私は好きだ。

私はそれに付け足すように「いつもセボンスター有難うね」と声を掛けた。

 

妹1の結婚式前夜

23:35。セブンイレブンの駐車場で、店のLEDライトに照らされながら「カニ酢で食べるカニかまぼこ」を食べ、「かみかみいかチップ」を食べている。

 

妹の結婚式前夜。なんだかそわそわしているのは、やたらと風は強いのに雨は小雨のアンバランス感だったり、夫が淹れてくれたコーヒーが美味しくて一気に飲んでしまったせいかもしれないと思うようにした。

3時間ほど前に家に顔を出してくれた妹1が「そわそわしないようにしてる」と言っていたので、姉だし、わたしもそわそわしないようにしようと思ったのだった。

しかし、パジャマのままでコンビニに行き、暗い車内でカニカマを食う行為は、そわそわ以外の何物でもなかった。

 

明日の結婚式会場のウェルカムスペースに飾る絵を急ピッチで仕上げ、ネットプリントで印刷した。惰性で眠ろうとしたわたしに夫が「今日中にもろもろ準備しないと明日が大変なことになる」と助言してくれたのだ。

やはり彼の読み通り、わたしはネットプリントの登録番号を控えず車で5分のセブンイレブンに来てしまった。明日のわたしの代わりに今日のわたしがバタつく羽目になった。

子どもを寝かしつけてくれていた夫に泣く泣くLINEをし、履歴を辿り登録番号を教えてもらいなんとかタスクを終えた。

 

コンビニのレジがいつの間にか自動会計機になっていておぉ、と小さくびっくりした。家から出ない間に、ずいぶんと世界が進んでいる。

 

カニカマは、カニ酢の酸っぱさに期待して購入したが、わたしの舌はかまぼこの甘さを多く拾ってしまった。不完全燃焼感を埋めるようにイカを放り込む。夫の車内の香りがどうなろうとお構いなしだ。明日の朝にはきっと消えているだろう。

深夜スタッフらしからぬ(少なくとも、これまでコンビニ深夜帯でバイトをしていた&深夜コンビニを愛用していた身としては)、女性の快活な「いらっしゃいませ、こんばんは!」が店内から聞こえてくる。わたしの影がぐっと濃くなるのを感じた。

いかつい黒のクラウンから、部屋着姿のカップルが降りてきて入店した。ちょっぴり親近感を覚えてにやりとした。

 

そろそろ帰って寝よう。眠れるかはわからないけれど。

ママと呼んでくれたのはサメのおかげ

わが家の2歳女児が好きなものはサメと恐竜だ。サメが家族で出てくる動画と、ティラノサウルスがフンガフンガ言ってる動画が本当に好きだ。

まだ言葉が出てこないので、両手をサメの口のようにパクパクさせるジェスチャーと「ガオー、ガオー」と恐竜の鳴き声のものまねで、動画を再生しろとリクエストしてくる。

 

Huluの子ども向けライブTVをとうとう卒業し、子1はYouTubeの海にダイブした。言葉が出てこないうちからのあれが観たいアピールは本当に困る。なんせ多すぎてわからないのだ。

なので手当たり次第に再生する。他のおもちゃで気を引かせてTV自体を消しリモコンを隠すという強硬手段に出ることもある。流れに乗っていっときはおもちゃで遊んでいてくれるが、ふと気がつくと口をとがらせ両手をパクパクさせている。あぁ、サメが観たいのか、と仕方なくYouTubeを再生するが「違う」と言われる。どうやら、サメはサメでもこれじゃないサメ家族動画のようだ。人気動画は海のように深い。

 

このようにサメ家族動画だけをはしごしていると、実にさまざまな作品に行きつく。バージョンが実に豊富なのだ。

クリスマスやハロウィンなど季節の行事と絡めたもの、大人たちが仮装をして歌うものなどがあるが、なかでも「これは…」となるのが、子どもが好きなものをとりあえずサメと組み合わせただけのバージョンだ。

たとえば恐竜×サメ(サメが恐竜のかぶりものをしている)、アメコミヒーロー×サメ(ハルクのサメがやたらとでかい)、スイーツ×サメ(???)など、もはやサメである必要性はあるのかと問いたくなるのである。しかしその問いは野暮なもので、いかに再生されるかで奮闘した結果としか言いようがないのだ。

ちなみに、同じメロディではあるが猫やサル、恐竜が主役になっているものもある。しかし、やはり子どもたちはサメの方が良いんだろうなと、あふれるサメ家族動画のサムネイルを眺めながら思うのだった。

 

わたしは日々の家事や仕事をサメ家族動画によって救われている母親の一人だが、特に有り難みを感じたのはやっと子1がママと呼んでくれるようになったことだ。パパ、と発語してからおそらく半年ほど。なにがきっかけかと思い返すと、サメの家族動画に出てくるママザメの存在だ。たぶんママザメママザメ言ってるうちに覚えたんじゃないのという、われながらそんな認識の仕方あるかよと言いたいが、たぶん現実的にそうだから仕方がない。

それ以来、テレビに出てくる母親キャラとわたしを指差して「ママ!」と言ってくれるようになった。よーしよしよし。もっと呼んでくれ。

 

 

 

 

20歳のとき、なにをしていたか

佐世保の公共ホール、アルカスSASEBOは20周年の節目を迎える。

先日、本館で行われていた記念展を観に行ったのだが、予想よりも充実した内容だった。

 

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▲完成予想図的な模型と、これまでのあゆみ展示。なお、パネルが置かれているのは譜面台だ

 

ふと、市民ミュージカルの文字に目がいく。

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▲市民参加ミュージカル「佐世保ブギウギ」と「佐世ぼん」のステージ写真

 

そうだ。これまで同館では、開館5周年と10周年の節目に市民ミュージカルを開催していたのだった。その名も「佐世保ブギウギ」と「佐世ぼん」。

 

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佐世保ブギウギのパンフレット。デザインは、佐世保の画家・松川到子さんによるものだ

 

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佐世保の地元情報紙「ライフさせぼ」発行の月刊誌「99view」に掲載された、「佐世ぼん」の取材記事

 

そのどちらもが、出演者100人超えのビッグな公演だった。人口約25万人、絶賛高齢化進行中の日本の最西端のまちでこんなフレッシュなことが行われていたなんて。子ども、いっぱいいるじゃないの。年齢層は4歳から70代まで。いやはや、そういうことができるまちだったのか佐世保は。わたしの知っている佐世保と違うぞ、と、おどろきもりもりでいっぱいだった。

 

そして今回は20周年。あの頃から果たして、故郷はどう変わったのか。

 

それを考えるよりまず、あれだ。

20歳のとき、わたしは何をしていたんだろう。

 

振り返ると、その頃は佐世保を離れていた。演劇をするために佐賀大の一番偏差値が低かった学部に入り、単位ギリギリになりながらも全力でエアライフル競技に打ち込むというはちゃめちゃな学生生活を送っていた時期だ。

 

そのあいだにも、佐世保ではこんな立派なミュージカルが行われたりしていたのだ。地元では演劇ができないからと離れたはずなのに。わたしは一体なにをやっているんだろう。

いや、しかし実際は、ただ外に出てみたかっただけなのだ。おかげで色々と気がついたこともある。

つまらなくて何もないと思っていた地元をおもしろがる余裕もできた。これは前職の経験が大いにあるが、とにかく九州を転々とした20代は無駄ではなかったようだ。

 

今回の20周年記念事業「佐世保の物語」は、20代は少ないものの、小学生から80代までと幅広い年齢層の参加者が集っている。

まだ「一丸となって」という状態ではないが、ときおり年齢の垣根を飛び越えて物事や感情が生まれる瞬間があるものだから、目にする度におぉ、と未知のものに感動するような気持ちになってしまう。

 

ふだんの生活ではなかなか目にすることのない光景。さらに新型コロナウイルス流行のさなかという状況が、「人々が集まって芝居をつくる」という行為に強い意志の動きと物語性を与えている。公演規模はこれまでよりも小さいが、5周年、10周年にはなし得なかったものになっている。

 

ワークショップは9月で4回目を迎えた。

やっと公演のテーマソングが完成し、担当スタッフがまたもや泣きそうになっていた。わたしもその一人だった。

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▲声がいっぱい重なるのって涙腺にビリビリくる

 

演出家の宮原さんの男前な引っ張りがすごい。

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▲演出家の宮原さん

 

きっと、受けているプレッシャーもすごいんだろう。今回はみずみずしいパイナップルと青みかん、一口羊羹を持参していた。プロ棋士並だ。すさまじいエネルギーの放出っぷりがうかがえる。

 

このプロジェクトが始まったばかりの頃、「佐世保はずっと好きなんですか」と佐世保出身の彼女に尋ねたとき「そうじゃなかったよ」と首を横に振ったことがいまでも印象的だ。同じだ!と勝手にジーンときたのだ。

彼女もまた、故郷と向き合い、未知の体験をすることになるんだろう。参加者もわたしも。

 

 

 

ところで、冒頭の記念展の話に戻るのだが、実は一番興味深かったのは、アルカスSASEBOの職員たちによる思い出エピソードだ。

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▲公演前日の3月11日に東日本大震災が起こり、開催が危ぶまれた「佐世ぼん」のエピソード

 

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▲「佐世保ブギウギ」の裏話では、まさかの一番頑張っていた担当職員が公演当日にインフルエンザにかかってしまった

 

淡々と文字だけで綴られたそれは、当たり前だが彼らにしか体験できない。しかし利用者側のわれわれには想像もつかないリアルがそこにはあったのだった。

 

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佐世保の劇団HIT!STAGEの戯曲家・森馨由さんの作品「春の鯨」が、第13回劇作家協会新人戯曲賞の最終選考ノミネート。

そしてアイスランド交響楽団が、国の経済破綻を受けて来日できず公演が中止になったというおどろきのエピソードまで

 

 

この職員思い出エピソードめちゃくちゃ面白いので、ぜひともまたやってほしい。

 

バランスボールはご機嫌とりのカギ

昼過ぎに妹と父たちと合流して、遅めの墓参りに行くことになっていたので、それまでの時間をだらだらと過ごす。

夫が衣装部屋のDIYなどをしているあいだに、記事を書こうと思ったがなかなかはかどらない。あれやこれや片付けねばとムキーッとなってたら夫が子どもたちを見ててくれた。いつもこうして気を遣わせてしまう。片付けが一段落して気持ちを切り替えてから迎えに行った。

子1はお義母さんにべったりだったので、申し訳なくなりながらもそのまま見ててもらう。呼ばれたので外に出ると、洗剤をスポンジにつけて車を洗っていた。次はホースを使い出すかもしれない。

 

久しぶりとの父はより顔の皺が深くなっているように見えた。孫へ全力でラブアタックしているのを見るたびに、いきみまくった甲斐があったなぁと改めて思う。

子は、最終的に実家のバランスボールで機嫌を取り戻していた。そしてわたしと妹はなぜか、骨盤マシーンを試すことになりグイグイと締め付けられながら恍惚のうめきをもらしていた。

子は18時に帰宅後即寝落ちし、朝の4時まで豪快に眠り続けた。

手応えは弱点

夜中にしくしく泣いていた子1は、翌朝けろっとして7時近くに起きてきた。母親がまだ起きる気がないのを認識すると、やはりいつも通り父親のところに眼鏡を持って駆け寄り、「起きて!朝ごはん食べよう」とリビングへの移動を促した。わたしは階下に降りて行く足音を聞きながらやはり二度寝した。

 

取材が入っていたので、お義母さんに子どもたちをお願いして外出した。新しい生活様式での初めての外取材だ。マスク、消毒、ソーシャルディスタンス…と、家の中ではほとんど考えないワードを反芻しながら準備をしていたらカメラを忘れたので慌てて入れた。

 

先日、ストレージ管理のためスマホを安易にリセットしたおかげで、いろんなアプリが消えた。LINEのバックアップが失敗しやらかした感触はあったものの、まぁなんとかなるだろうと構えていたのだが、消えたアプリの再インストールの不便さに地味に心を削られていた。

その中にGoogle マップもあった。今回の取材先へのルート検索をしようかと思ったが、行ったことのある場所だった上、ブラウザ上でも大丈夫だろうということでインストールせずに挑んだ。

すると当然ではあるが、GPSで現在地は更新されるもののマップ自体はわが家周辺を映したまま移動せずいちいち手でスクロールせねばならん羽目になり、

おまけに草木や人への思いやり(離合)がわっさわっさ生い茂る超マイナーなルートを案内された。交通看板には、「耕運機が通ります、注意」とある。途中、絶妙にズレたルートに侵入してしまい何度もUターンを繰り返した。

前職の時、取材に遅刻し先方にこっぴどく叱られたトラウマを思い出しつつ、安全運転で迅速に目的地に到着。なんとか間に合いことなきを得た。

取材がうまくいったのでご機嫌になったが、それはすべてマスクのおかげでむしろ欠点であることに気がつき愕然とした。



なじみの店にお土産を持っていき談笑して帰宅。慣れない消毒作業にワタワタとする。

お義母さんにお礼、取材の話をしつつ休憩。美味しいご飯をいただく。子2はすやすやと眠り、子1はずっとパプリカを踊っている。

お義母さんと「しまじろうファミリーは綺麗すぎるからもっとダーティーになってもいいよね」という会話でキャッキャするなど。

 

母から「今日は祖母の命日」というLINEがきて、そっかーと家族グループでコメントしあった。祖父、祖母と二ヶ月連続で鬼籍に入り、同じ場所で葬儀をして顔見知りになったスタッフさんと「こないだはどうも」と会話をしたのも良い思い出だったと振り返った。

 

なかなか家に入りたがらない子1を強制送還、風呂に入れる。昨日のクモがまた出てきたので、壁を手でバンバン叩いて遠くへ追いやった。クモに「お湯がかかったらあんまりよくないから、いまはあっちに行って」とふんわりした説明をし、理不尽な暴力ではないことを子1に伝えた。

 

風呂上り、みんなでドキュメンタル最新話でゲラゲラ盛り上がった。チャンス大城さんのエピソードのパワーがありすぎて時空が歪んでいる。

 

夜、夫は衣装部屋のDIYに夢中になり、酒を飲みつつ暗い屋外で塗装をしたりノコギリで木の板を切ったりとなかなかハイなことをしていた。意見を聞かれたので眠いまま答えたら「明日また聞くよ」と言われた。出来上がった箇所を見せてくれたのでふらふら見に行くと、かなりブラボーな出来だったので眠気が覚めた。DIYは、終わりがないうえ、頭脳をフル回転で使えるので夫は常にハングリーになれるようだった。そんな食べ応えのある女にわたしもならねばナと少年アシベを観ながらぼんやり考えた。

 

寝る間際、無限しりとりを4回戦ほどやった。ど、から始まる7文字がわからず調べて二人でなるほどと相槌を打つなどして寝た(ドウダンツツジなど)。