ヤマモトチヒロのブログ

佐世保在住フリーライターです。育児日記に混じって、地元佐世保の歴史や文化、老舗や人物について取材撮影執筆した記事を掲載しています。

MENU

おっちゃんの墓参り2023

f:id:PKyamamoto:20240429183209j:image

年の瀬に、久しぶりに家族が集まったので「おっちゃんの墓参りに行こう」となった。

おっちゃんとは、私たち姉妹が小さい頃大好きで、よく遊んでもらっていたおじちゃんのことだ。

今は亡くなっているが、父方の祖母は育ての親のトヨノさんと生みの親のヤスエさんの2人居て、おっちゃんは彼女たちのボーイフレンドだったらしい。

血は繋がっていないが、私たちはまるで親戚のように仲が良かった。

トヨノさんはよくホームランバーをくれて、私たちがそれを食べ終わる頃に「おっちゃん、孫たちば『まるたか』ヘ連れてってやりい」と言った。

嬉々としてタバコのヤニと整髪料の匂いが染み付いた車に乗り込み、スーパーまるたかへ。私の中ではお菓子の花形的存在だった「セボンスター」を買ってもらうのがお決まりの流れだった。

当時、ロッテリアが販売していた「たらもサンド」も、欲しいと言えば食べに連れて行ってくれた。初めてドライブスルーにチャレンジした時は、マイクへの話し掛け方が分からず、「こいどがんすっと?」とわざわざ車を降りてマイクが入ったボックスをゴンゴン叩いて店員を困らせていた。

「おっちゃんよう分からんばってん、本当に好きねぇ」と男前な顔をくしゃっとして笑うのが印象的だった。

そんなおっちゃんは、私が小学校低学年のある真冬の日に突然亡くなった。

真夜中に子供部屋の扉が開いて、「ちょっと出てくるけん、家におって」と、寝ぼけ眼の私に父が言った。語気は激しく揺れ、顔は青白かった。

当時の記憶はそれぐらいしかなく、おっちゃんは真冬の川でウナギを獲っている最中に倒れたということと、その遺体は検死のためか裸に毛布一枚の状態で、駆けつけたトヨノさんと父が「どうか暖かい服を着せてやってくれ」と遺体に縋り付いて号泣していたということを、これまたいつだったか母から聞いた。

 

おっちゃんの家はトヨノさんとヤスエさんの家のほぼ真隣で、狭い路地の細くて縦長いアパートの2階の一室に住んでいた。一度だけ部屋に上がったことがあったが、とても長居できる広さではなかったのを覚えている。壁一面には鳥籠がびっしりと並んでいて、たくさんのメジロが鳴いていた。70代の方々の昔話でよく「メジロを捕まえて、友人同士で鳴き声の美しさや体の大きさを競っていた」という遊びがあったことを聞いたが、それとは全く異質なものだったように思う。

どこから来たのかも、なぜここにいるのかも、素性も何も分からないけれど、大好きなおじさんが突然いなくなったことは私もショックが大きかったようで、彼のトレードマークだった帽子をしばらく大事に持っていた。タバコのヤニと整髪料の匂いが染み付いていて、嗅げばいつでもおっちゃんを思い出すことができたからだ。

 

おっちゃんの生まれは西海市大島という、かつては炭鉱で栄え、今は造船のまちとして知られているところだというのを知ったのは、亡くなった翌年の夏に墓参りに行ったとき。

おっちゃんの実家を訪ね、親戚から新鮮な刺盛をご馳走してもらいながら思い出話に花を咲かせた…のかは曖昧な記憶だ。

あれから数10年経ち、姉妹全員が結婚した今は、「ボットン便所の迫力すごかったよね」と、どうでも良いことだけを覚えている。

 

大島大橋をすがすがしく渡り、車を走らせながら地元の人々が暮らす景色に目を見やる。

「OSHIMA SHIP YARD」と書かれた大島造船所の大きなクレーンは、青い空にボディの赤と白がよく映えていて美しい。奥の方のクレーンに書かれた「心一つにガンバらんば」の言葉があたたかい。

スーパーは賑わっており、海風のせいか頭から錆をかぶったような軽バンが駐車場から勇ましく飛び出してきた。

近くに停まっている「八ちゃん堂」の移動販売に長蛇の列が出来ていた。赤ちゃんを抱っこしているお母さんの服の袖を、男の子が待ちきれないと言わんばかりにぐいぐい引っ張っている。

たこ焼きのビニール袋をぶら下げて、金髪の男女が歩いている。足取りに合わせて綺麗な髪がさらさらと揺れていた。

一度来たことがあるのに、やはり初めて見るものばかりだった。

 

漁港沿いの居住エリアの一角に車を停めて降り立つと、むわっと濃い海の香りがした。しかし真冬の風が吹き付けてひどく寒い。

姉妹で固まっていると、「寒かけん、はよ行こうで」と、ウインドブレーカーの上にデニムジャケットを羽織った半分よそいきな格好の父が、やたら鮮やかな仏花のブーケを風でバサつかせながらやってきて場が一気に賑わった。

両手を脇の下で温めながら、妹夫婦たちと公営墓地へ続く坂道を登る。「寒いですね」と微笑みながら一緒に登ってくれている義理の弟たちは、この謎の人物の墓参りについてどう思っているのだろうか。結局聞くことはできなかった。

仏花を供え「おっちゃん、来たよ」と父が墓に声を掛ける。強風のため線香に火をつけるのは諦めた。

おっちゃんの墓参りは久しぶりだが、毎年祖父母の墓参りに行くときも、こうして父は墓に「来たよ」と話し掛ける。そこから流暢に語り出すことはないけれど、私たちの目線も多少意識しながら「うん、ね…」と考え事をしたり、胸中で想いを伝えているであろう沈黙が流れる。そしてそれは、小さな「っし、またくっけんね」の言葉で締めくくられる。時間や次元をちょっと超えるような、この短い時間が私は好きだ。

私はそれに付け足すように「いつもセボンスター有難うね」と声を掛けた。