20歳のとき、なにをしていたか
佐世保の公共ホール、アルカスSASEBOは20周年の節目を迎える。
先日、本館で行われていた記念展を観に行ったのだが、予想よりも充実した内容だった。
▲完成予想図的な模型と、これまでのあゆみ展示。なお、パネルが置かれているのは譜面台だ
ふと、市民ミュージカルの文字に目がいく。
▲市民参加ミュージカル「佐世保ブギウギ」と「佐世ぼん」のステージ写真
そうだ。これまで同館では、開館5周年と10周年の節目に市民ミュージカルを開催していたのだった。その名も「佐世保ブギウギ」と「佐世ぼん」。
▲佐世保ブギウギのパンフレット。デザインは、佐世保の画家・松川到子さんによるものだ
▲佐世保の地元情報紙「ライフさせぼ」発行の月刊誌「99view」に掲載された、「佐世ぼん」の取材記事
そのどちらもが、出演者100人超えのビッグな公演だった。人口約25万人、絶賛高齢化進行中の日本の最西端のまちでこんなフレッシュなことが行われていたなんて。子ども、いっぱいいるじゃないの。年齢層は4歳から70代まで。いやはや、そういうことができるまちだったのか佐世保は。わたしの知っている佐世保と違うぞ、と、おどろきもりもりでいっぱいだった。
そして今回は20周年。あの頃から果たして、故郷はどう変わったのか。
それを考えるよりまず、あれだ。
20歳のとき、わたしは何をしていたんだろう。
振り返ると、その頃は佐世保を離れていた。演劇をするために佐賀大の一番偏差値が低かった学部に入り、単位ギリギリになりながらも全力でエアライフル競技に打ち込むというはちゃめちゃな学生生活を送っていた時期だ。
そのあいだにも、佐世保ではこんな立派なミュージカルが行われたりしていたのだ。地元では演劇ができないからと離れたはずなのに。わたしは一体なにをやっているんだろう。
いや、しかし実際は、ただ外に出てみたかっただけなのだ。おかげで色々と気がついたこともある。
つまらなくて何もないと思っていた地元をおもしろがる余裕もできた。これは前職の経験が大いにあるが、とにかく九州を転々とした20代は無駄ではなかったようだ。
今回の20周年記念事業「佐世保の物語」は、20代は少ないものの、小学生から80代までと幅広い年齢層の参加者が集っている。
まだ「一丸となって」という状態ではないが、ときおり年齢の垣根を飛び越えて物事や感情が生まれる瞬間があるものだから、目にする度におぉ、と未知のものに感動するような気持ちになってしまう。
ふだんの生活ではなかなか目にすることのない光景。さらに新型コロナウイルス流行のさなかという状況が、「人々が集まって芝居をつくる」という行為に強い意志の動きと物語性を与えている。公演規模はこれまでよりも小さいが、5周年、10周年にはなし得なかったものになっている。
ワークショップは9月で4回目を迎えた。
やっと公演のテーマソングが完成し、担当スタッフがまたもや泣きそうになっていた。わたしもその一人だった。
▲声がいっぱい重なるのって涙腺にビリビリくる
演出家の宮原さんの男前な引っ張りがすごい。
▲演出家の宮原さん
きっと、受けているプレッシャーもすごいんだろう。今回はみずみずしいパイナップルと青みかん、一口羊羹を持参していた。プロ棋士並だ。すさまじいエネルギーの放出っぷりがうかがえる。
このプロジェクトが始まったばかりの頃、「佐世保はずっと好きなんですか」と佐世保出身の彼女に尋ねたとき「そうじゃなかったよ」と首を横に振ったことがいまでも印象的だ。同じだ!と勝手にジーンときたのだ。
彼女もまた、故郷と向き合い、未知の体験をすることになるんだろう。参加者もわたしも。
ところで、冒頭の記念展の話に戻るのだが、実は一番興味深かったのは、アルカスSASEBOの職員たちによる思い出エピソードだ。
▲公演前日の3月11日に東日本大震災が起こり、開催が危ぶまれた「佐世ぼん」のエピソード
▲「佐世保ブギウギ」の裏話では、まさかの一番頑張っていた担当職員が公演当日にインフルエンザにかかってしまった
淡々と文字だけで綴られたそれは、当たり前だが彼らにしか体験できない。しかし利用者側のわれわれには想像もつかないリアルがそこにはあったのだった。
▲佐世保の劇団HIT!STAGEの戯曲家・森馨由さんの作品「春の鯨」が、第13回劇作家協会新人戯曲賞の最終選考ノミネート。
そしてアイスランド交響楽団が、国の経済破綻を受けて来日できず公演が中止になったというおどろきのエピソードまで
この職員思い出エピソードめちゃくちゃ面白いので、ぜひともまたやってほしい。