ジッタリンジンのプレゼントのように読み聞かせる
子の服が次々とサイズアウトしてきた。
成長するのは当たり前のことだが、家族で散々「かわいい!」と大はしゃぎしまくった服を着たわが子が見れなくなるのかと考えると少しさびしい。
母や妹が選んでくれた服ならなおさらで、非常に愛着もあるからだ。
しかし季節は変わって、もう厚手のものは着れなくなった。
サイズ云々の話ではない。
というわけで、お義母さんに連れられて、ベース内のユーズドショップにお買い物に行ったのである。
前回はボトムスをたくさん買ったので、今回は半袖を買おう!ということらしい。
抱っこ紐で眠そうにぶら下がるわが子とともに、店内を物色した。
結局、かわいいだの作りがしっかりしてるだの関心しながら選別していった結果、10枚ほどのTシャツを購入した。
その後もスーパーなどに行ってから帰る。
家に帰ってから広げてみると、かなりボーイズ寄りで笑ってしまった。
「わたしたちの好みなら仕方がないわよねー」とお義母さんと笑う。
しかもよく見ると、歯が出ている柄が多めだ。
新手の乳歯祈願のようだ。
乳歯祈願ってなんだ。
おしとやかさとは真逆のわんぱく柄だったが、本人がとても喜んでいる感じだったのでよしと思った。
今日の絵本は、アーノルドローベル氏の「わたしの庭のバラの花」だった。
つぎつぎと花が登場していく描写が楽しく、ページをめくるごとに速度を上げながら読むととても面白い。
怒涛のラストはドリフのコントのオチのようで、一種の爽快感すらあった。
JITTERIN'JINNの「プレゼント」を歌っているような気持ちになった。
つい、子と添い寝をして2時間ほどたっぷりと寝てしまった。
起きて記事を仕上げる。
なんだかこのルーチンはまずいぞと思いつつ、次の日も同じことをやらかすことになる。
夫から、昨日作った甘い肉味噌で料理を作りたいので鶏肉を炊飯器で熱を通しておいてくれという指令があった。
とりあえず炊飯器にセットして炊飯ボタンを押しておく。
友人と会うためクーシェに寄り道していた夫を子と迎えにいく。
子は後部座席のチャイルドシートでおとなしくしていたが、車を停めて談笑していると泣き出した。
「くるまをとめるなー」ということらしい。
ちょうど店のママが話しかけてきてくれたタイミングで、申し訳なかった。
笑いながら夫の友人たちと別れ、車を発進させるとぴたりと泣き止んだ。
ゲンキンなやつである。
帰宅し、夫は料理に取り掛かる。
なにやら考え事をしていたようで、わたしたち夫婦のどちらがが欠けたら悲しいよねという話をした。
もし俺が先に死んでも生活は大丈夫だからと言われたが、とりあえず「それはダメです」と返事にならない返事をしておいた。
感情的な話ではなく、子どもができたからこそこういう具体的なもしも話は必要なものであった。
しかし悲しいものは悲しいしできればしたくないものだ。
さて、と夫が炊飯器をあけると、中にはしっかり熱が通った鶏肉が…のはずが、なぜか半生ででてきた。
炊飯器の不調なのか自分のミスなのかに疑問を抱きつつ、先に風呂に入れと促されたので入った。
シャワーを浴びていると、さきほどのもしも離別の話が頭をよぎって悲しくなった。
「シャワーで悲しいこと考えて泣きそうになるってドラマみたいだよね」と夫に伝えたらウンウンとうなずいていた。
水場は涙誘発スポットであることは間違いない。
夜は夫と猫に挟まれてとてもベッドが狭かった。
おまけに真横の敷布団に寝ている子も、ベッタリとベッドの縁に身体を寄せてきていた。
密度100%のこの感じも、幸せだよなぁふふふとおもいつつ、やっぱり狭いので夫の身体をぐいと押しやった。
【記事を書かせていただいてます】
【日常あれこれ】
8ヶ月の子ども用のおやつ。
大人が食べても美味しいほどしっかりした味だった。
太陽の光を浴びたメキシカン。