制服を着ていたわたしたちは子を抱いて
昨日のツイッターで、平沢進がフジロックに出演するという情報を知って以来、気持ちが北のほうに向いてしまっている。
どうしたもんかと思いつつそわそわしている。
野外で「Lotus」を、しかも生で聴こうものなら興奮してヨダレを垂らしてしまうかもしれない。
千年女優。
現状行くのは難しそうだし、子を預けて1人で行くというのもかなり気が引けてしまう。
けどもくる、師匠がくる、はああああ。
このそわそわはあまり抱き続けてもしょうがないので、気を紛らわすためにプレイリストを流しまくろうと思う。
しかし、師匠の曲は、記事を書いている時のBGMにはまったく向かない。
曲にばかり意識がいってしまうからだ。
A子とその娘ちゃんを誘ってベースに行こうじゃないか、ということになった。
たぶん彼女たちがそこを訪れるのは、われわれ夫婦の結婚式の二次会以来だ。
向こうの準備が出来次第、家まで車で迎えに行った。
A子の娘ちゃんは、身体が大きくなっているのはもちろん、表情豊かに色々な言葉を話すようになっていた。
ベースに着くまでの間にも「収集車!」や「神社!」などすれ違う色々なものの名前を呼ぶ。
人間誰しも成長するので、当たり前といえば当たり前なのだが、やはり以前できなかったことができるようになるというのは感動以外のなにものでもない。
その度に、すげー、すげー!と叫ぶわたしであった。
完全に親心である。
そして、とうとうわたしの名前が大声で呼ばれたとき、「うっひょおー」と狂喜してしまい、ハンドルを握る手に力が入ってしまった。
まさか親友に子どもができて、その子どもがわたしの名前を呼んでくれることなど思ってもみなかったからだ。
少なくとも高校生のときには。
ということはそこから10年以上は経ったわけだ。
10年て。そりゃあそうか。そうなるか。
ベースに着いてお義母さんと夫と合流して、色々な場所を回った。
楽しすぎた。
帰りは夫たちと別れ、娘を連れてA子のお母さんにご挨拶に行くことにした。
結構歩き回りすぎたせいか、A子の娘ちゃんは車のなかですっかり寝落ちしてしまっていた。
わたしは自分の子を、A子はすやすやと眠る娘ちゃんを抱っこして家の門をくぐる。
なんだこの光景は。
かつて制服を着て遊びに来ていた家に、こうして訪れる。
高校時代の自分がタイムスリップしてきたらこんな気持ちなのだろうか。
エモさ大爆発で泣きそうである。
決して西日が眩しいからではない。
少しだけお邪魔し、久しぶりにA子のお母さんとの会話を楽しんだ。
お会いしたのは、妊娠中でしかも結婚式をする前だったから、かれこれ半年以上前だろうか。
それだけにわが子と対面してもらって言葉を交わすということは、きちんと「挨拶ができた」という感じがしてよかった。進歩が示せた、ともいうのか。
また、A子のお母さんはわたしのことを旧姓で呼んでくれるのだが、それはうしろから肩をとんとんと優しく叩いて落し物に気付かされたときのような、独特な感覚をおぼえる。
ハッとするようなほっとするような嬉しいような、なんとも色んな気持ちのグラデーションが巻き起こるのだ。
歳を重ねてのおつきあいの良さを感じたし、子にもそんな友人ができることをひそかに願ってやまない。
自宅に着くと夫と猫が昼寝をしていたので、わたしと子も昼寝をした。
【記事を書かせていただいてます】
【日常あれこれ】
4/4 おふろにジャブン 1.2.3!100匹のアニマルとお風呂。とてもすごいとおもう。#読み聞かせ #絵本 #佐世保市立図書館
昨晩はへべれけでしたが、あごだしラーメンを食べたかったなと振り返れる位には意識ははっきりしておりました
— chirolpakutiaji (@chirol1660) 2019年4月5日
あれっ、フジロック行く系のひとではないですか?
— chirolpakutiaji (@chirol1660) 2019年4月6日