ヤマモトチヒロのブログ

佐世保在住フリーライターです。育児日記に混じって、地元佐世保の歴史や文化、老舗や人物について取材撮影執筆した記事を掲載しています。

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大中のこと①

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わたしは大学を卒業後「大中」に入社した。

大中は、だいちゅうと読む。

かつて原宿をメインに全国展開した雑貨店である。

原宿をメインに、というのは、2018年3月末に閉店した最後の店舗「大中原宿店」のイメージが強かったからである。

「大中」そのものの歴史は意外と古い。

ダイエーグループが1972年に創業し、大阪の京橋店が1号店としてオープンした。

ターゲットは10-20代の女性で、取り扱う商品もまさに原宿系のキッチュな服からバッグ、靴といったファッショングッズが多かった。

と思いきや、ラタンやバンブー素材、インド織物やお香などのエスニックなインテリア小物が店の一角に独特な存在感を放っていたりした。

その中でも、お店の個性として一番際立っていたのは中国雑貨だ。

中国のお面やチャイナドレスにカンフーシューズなどが薄暗い店内にギュッと凝縮されており、独特の香りを放つカオスな売り場だった。

中国製の、ぎこちない動きをするパンダのおもちゃなどもあった。

このパンダグッズは、大中がのちのち「こりゃあ売れる」と認識し、取り扱いアイテムを増やしまくった結果店頭が白黒になってしまう事態にまで陥ることになるが、この頃はまだ可愛い程度に置かれていた。

ちなみに、大中はアジアン雑貨ブームの先駆けとも言われている。

この頃はきっと雑貨業界が盛り上がっていた頃で、ノスタルジックキューティーをブランドテーマにした雑貨店「スイマー」や、「チョコホリック」「宇宙百貨」などなど、挙げれば挙げるほど何だか胸の奥がキュウとするものばかりだ。

佐世保市民なら「生活探偵団」にもドキッとすることだろう。

ヴィレッジヴァンガード」なんか憧れそのものだった。あのお店のことを知っているだけで何か強くなったような気がしていたほどだ(何に)。

それだけに世の中は可愛いものにあふれていたし、お店自体もワクワクする空間だった。

 

わたしが初めて大中に来店したのは、母が住んでいた東京に単身で遊びに行ったときのこと。

中華料理店と見紛うほどの赤い看板と、決して広いとは言えないゴチャゴチャした雰囲気に惹かれて思わず入ってしまったのが、大中原宿店だ。

安い、そして可愛い…と思いながら店内を物色し、結局カンフーシューズ1足と母親に勧められたよくわからないブラジャーを購入した。

よくわからない組み合わせだったけど、赤い中華柄の紙袋に入れられて渡されたそれはとてもカッコ良かった。

それ以来、そのお店のことが忘れられず、大学卒業後に入社することになる。

父から「あんたせっかく国立ば出て…」と言われてムカッとしたが、今思えば確かにその通りだ。

しかし、好きなことを仕事にする!という脳内お花畑状態だったので、その苦言に耳を傾けることはなかった。

 

大中が、ダイエーグループが経営する2つの店舗の1形態だったということを知ったのは会社説明会のときだった。

怪しい中国人がやっている店だとばかり思っていたわたしは、ダイエーというクリーンな響きに少しガッカリしたのを覚えている。

間接照明にうっとりしていたら、突然蛍光灯に切り替えられたときのギャップとでも言おうか。

ちなみに、もう1つの形態は「マルシェ」という、今でいうところの「C&C」みたいな雰囲気のお店だ。

大中とは逆に、パステルカラーの多い明るいお店だった。これこそ蛍光灯ショップだ。

キャラクターものが多かったように思う。当時はケアベアが流行っていた。

わたしは、キャラクターものがあまり好きではない。飽きるのも早いし、そんなものは子どもの頃に通り過ぎたと思っていたからだ。

わたしはそんな「キャラクターものに頼らざるを得ないお店」に、「プライドっちゅうもんはないのか!」と謎の嫌悪を感じていた。

非常にうっとおしい女である。

 

入社面接で店舗間の異動があることを伝えられたときときは、「全国どこでも飛ばしてくれていいのですが、マルシェだけは行きたくないです」ときっぱり言った。

これでダメだったら宇宙百貨を受けようと思っていたら、なんとその場で即採用となった。

今ではとても考えられないが、ちょうど就職氷河期後の売り手市場の時代だったので、とてもラッキーだったと思う。

大学で学んだ内容とはまったく違うジャンルではあったが、とても達成感を覚えた。

 

学生の頃、飲食店を2回だか3回だかクビになり、どうにかして新鮮な食べ物と関わりのないアルバイトを探していた。住んでいた場所には大中がなかったので、家から自転車で30分ほどの雑貨屋ブルドッグに行き着いた。

当時は雑貨屋ブームで結構店舗数も多かった。佐世保にもかつて広田にお店があったと思う。

とにかく種類を多く仕入れ、高く敷き詰めて賑やかにする、というドンキ的な陳列が特徴だった。

そこでレジ打ち、ギフトラッピング、陳列品出し、棚卸しなどのだいたいの作業を学んだ。

食べ物を扱わない(ちょっとしたお菓子程度は置いてあったが)ことがこんなにも気楽だなんて、最高だ。

商品は短い期間で続々と入れ替わるため、流行がわかってとても面白かった(ホヌホヌがなぜあんなに人気だったのが今でも謎のままだ)。

クリスマスやお正月、バレンタインなどの季節商品は見るだけでワクワクした。

「焼き魚チョコ」などのジョークアイテムをよく買っていた。部活に持って行ってちょっと引かれたりもした。

たまーに売れる「大人の缶づめ」には何が入っているんだろうと妄想を膨らませた。

おでん缶は爆発的に人気だった。何個包んだかわからない。おでん缶を並べるときの、コクッコクッという缶同士が当たる音は今でも鮮明に思い出せる。

商品数が多く売り場の死角もありすぎたため、万引きも多かった。

特にコスメ商品はターゲットにされやすかった。

万引き防止ゲートに反応するチップを、納品の時に1つ1つ商品に貼り付けていく作業だけでその日の作業が終わったこともある。

また、来店客が少なく暇なときはシルバーアクセサリーをこれでもかというほど磨き上げるだけで終わったりもした。

これでホントにお金もらっていいの、と思っていた。

とても楽しくアルバイトをさせてもらった。すっかり飲食店クビのトラウマも消えていた。

その時店長をしていたひとから、社員登用試験を受けるよう強く勧められたが、大中を受けたかったので断った。

 

そんな流れで入社した大中だった。

まだまだ書きたいのでまた次の機会に。

 

 

 

 

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