右目、耳毛、右耳
やはり朝起きたのは9時頃だった。
冬眠からのそりと目覚めるクマよろしく、家族揃って布団から身を起こす。
「子よ!今日もよく寝たなぁ!」と声を掛けたが、「よく寝たのはあんただけだよ」という顔をされてしまう。
お義母さんのところにお邪魔する。
以前、通販で買ったSサイズの服がなぜか身長170cmでないと着れないようなサイズで届き、どうしようか思案していたようだが結局自分でリサイズしたらしい。
1000円ちょっとの服におそらく2万円ほどの技術が加えられたことになる。
錬金術ってほんとうにあったんだ、と思う。
そのあと夫とお義母さんは、週末に控えたお坊さんイベントのための屏風の材料を調達しに出かけた。
わたしは子とともにお留守番で、手遊びをして過ごした。
手遊び、歌、読み聞かせ。
と書くと、いかにもキチンと幼児教育のためにやっているかのようだが、ただわたしの遊びに付き合ってもらっているというのが真実である。
手遊びや歌は、その都度の思いつきでやるので、同じものをやれと言われてもできない。
子にとってはとても迷惑な話である。
読み聞かせは、絵本がないので、とりあえず大きい写真や挿絵があるもので、わたしが読んで楽しいものを選ぶ。
ひざの上に乗せて(まだ腰が座ってないので両腕でギュッとはさむ)、おっきくて綺麗な写真が載っているMdNやワンダージャパンを広げる。
口を大きく開けて、教育番組のお姉さんのようにハキハキと「明朝体の、見分けかた〜」とか「ここは志免炭鉱〜」などと音読していると、たまらなく楽しいし笑えてくるのだ。
一応読み聞かせをした日はインスタに投稿して記録するようにしているのだが、おそらく賛否が分かれるところである。
夫とお義母さんが帰ってきた。
西沢本店に行ってきたらしい。
西沢本店は、創業1830年。ファッション事業、服地、手芸、オーダーカーテン、呉服事業などを展開する老舗だ。
九州でも随一の接客と品揃えを誇る。
わたしが幼い頃、手芸が好きな母によく連れられていたのを覚えている。
手芸にさっぱり興味がなかったわたしは早くジャスコ5階の本屋に行きたかったし、セーラームーンがデザインされた布にばかり目が行ってしまっていたが、大人になってから訪れるとその店の奥深さに驚くばかりだ。
「GUCCIの布があったよ」とお義母さん。なんとブランド製の布が反物で売ってあるというのだ。
いったいどんな客が購入するというのだろう。
よほど腕に自信がないと無理だ。
しかしやり方によっては、GUCCIの電話カバー、GUCCIのドアカバーというように、「昭和の母性あふれるGUCCIアイテム」が作れるというなんともエモさとリッチ感を味わえる体験ができる。
素敵じゃないか。
「右目、耳毛、右耳って3回早口で言える?」と夫から聞かれたので、張り切って唱えようとするがことごとく噛んでしまった。
3回唱えたその先にクイズが待っているわけでもなく、ただシンプルに、唱えるのが難しいのだ。
脳がつまづく感覚と言ってもいいだろうか。
口よりも先に、単語を認識しようとする脳に何かのロックがガチッとかかったようになる。
と、いま文章化しつつこれは笑えない現象じゃないかと思うが、きっと他の人にも起こり得ることだろうと信じたい。
意地でも早口言葉を完遂したくて、しまいには子の目と耳を指差しながら頑張ってみたがダメだった。
謎の悔しさを味わう。
ひと休憩終えた夫とお義母さんは、屏風づくりに取り掛かる。
わたしも参加したかったが、急ぎの用事があったのと手先が不器用だったため、二人にお任せすることに。
業務用木工用ボンドにビニール手袋をはめた手をドボンと突っ込み、木の板にスイスイ伸ばしていくのを傍から見守る。
左官工の仕事を見学させてもらっているかのようだ。
布を貼り付け、半紙を固定すれば屏風1枚ができあがる。
それを4枚、平蝶番でつなぎ合わせ、折り畳み可能な形にする。
お坊さんが上手に絵を描くキャンバスが完成した。
わたしは子を見つつ見てもらいつつ、関わらせてもらっている仕事を終わらせる。
あっという間に夕方になり日が落ちた。
夫は、なんとか貴重な休みのタスクを終えほっとしていたようだ。
夫の友人の奥さんが、出産里帰りから佐世保に帰ってきたという。
せっかくなので会いに行くことになった。
夫とその友人は、やや年の差はあれど長年の付き合いである。
偶然にもUターン時期や結婚、出産といったライフイベントが重なっているため、湘南乃風あたりの楽曲に出てきそうなマブダチぶりである。
奥さんとそのお子さんに会うのは1ヶ月ぶり。
すさまじく成長してしていたお子さんにニヤニヤしつつ、わが子と許嫁という設定で遊ぶ。
子泣き相撲のような体勢で互いを向き合わせ、子の代わりに親が喋ってはしゃぐ。
彼らの意思などガン無視だ。一番楽しんでいるのは親なのだ。
こんなメルティーな時間を、酔っ払いである時間のほうが長かったひとたち同士で出来ることになるとは、夢にも思っていなかった。
ちなみにわたしは、動物番組や赤ちゃん番組で、かわいい声の声優がアテレコするというのが大嫌いで、観ていると柱に頭を打ち付けたくなる。
わたしがやっていることは、まさにそれと同じことでもあるのだが、結局じぶんのこととなるとそういうものだ。
わが子は4ヶ月、向こうのお子さんは1ヶ月。
あたりまえであるが、いまのわが子と比べて、重さも温かさも匂いもまったく違うことに気付く。
たった3ヶ月だけども、人が変わるのに十分すぎる時間の長さなのだということを痛感する。
早送り動画でずっと成長の様子を記録していたら、きっと昆虫のサナギのようにうねうねしていることだろう。
夫の友人は目を細めながら、「ああ〜、はやく二人の思春期がぶつかり合ってくれないかなぁ〜…」と言っていた。
【記事を書かせていただいてます】
【日常あれこれ】
赤ちゃんボーイと赤ちゃんガールをミーツさせて親がニヤニヤしちゃうやつって、ありゃあおとぎ話じゃなかったんだね。
— chirolpakutiaji (@chirol1660) 2019年2月11日