行き着く先はシャンソン
お義母さんが講師をつとめる「布箱つくりワークショップ」に参加した。
これは佐世保のフリーペーパー「テマヒマ」が主催している「手間子屋ワークショップ」の1つで、生産者や手芸家、はたまたお坊さんなど、毎回さまざまなバリエーションで行われている。
子を連れて行って泣かせたりしたら参加者の方に迷惑なので、家でお留守番をしていようと思ったが、全然オッケーということだったのでお邪魔させてもらうことにした。
お義母さんの旧知の仲であるご友人の車にご一緒させてもらい、会場へ向かう。
2人の会話は途切れることがなくスピーディーで、頭の回転の速さにただただ驚くばかりだ。
わたしや夫の前では標準語で話すお義母さんだが、ご友人との会話だと方言が飛び出してくる。
本当に気のおけない間柄なのだということがうかがえた。
信号で停止中、目の前の横断歩道を渡っていたおばあさんの服の上下がたまたまチェックの柄物だった。
「あれは、見え方によってはGUCCIよ」とお義母さんが言った。
「それはとても前向きなコメントね」とご友人が言った。
こういう会話を友人としてみたいと思った。
ワークショップには7〜8人が参加し、お義母さんのレクチャーに従いながら黙々と作業に没頭していた。
工程は、あらかじめ用意したキットに自分の好きな柄の布をチョイスして貼り付けていくというものだった。
なにかしらサポート的なことができないかと思っていたが、子の世話をしているうちにどんどん事が進んでしまっていた。
そして子が大人しくなったタイミングであわてて混じり、せっせと作り始めるが、持ち前の不器用さもあいまってなかなか進まない。
箱の側面に薄くボンドを広げ、布をぴったりと貼り付けていく。
一見簡単そうだが、柄をまっすぐにしたり意図的にあわせたりということを考えると、正確に柄の位置を決めて貼り付けるのは至難の技である。
少し布を引き伸ばしながら貼り付け、上から湿ったタオルでなぞるとピンとまっすぐになった気がして気持ちがいい。
それにしてもわたしは布すらまっすぐに切れないため、端はガッタガタ、見えない部分は糸がほつれまくってしまい、海に流れ着いたゴミで作ったアート作品のようになってしまった。
結局途中で子がぐずり出したらなんだりで、工程の半分以上をお義母さんにやってもらうことになってしまった。
小学生の図工の時間に、いくつかそういう作品がある。
彫刻と粘土の作品だ。
わたしは立体が特に苦手で、彫刻はひたすら深く掘ることしかできない壊滅的な腕前だった。
いつまで経っても作品が完成しないことに見兼ねた先生が手伝ってくれて、やっと完成したのを覚えている。
先生は呆れていたが、わたしとしては自分と先生の合作のような気がして密かに嬉しかったのだ。
今まさに当時と同じような事が起きていた。
布を自由に貼り付けていく箱づくりは、きっと講師のお義母さんが思っていたよりも個性が出た。
箱の形はほぼ同じなのに、どんな色の組み合わせかといったことや、取っ手の紐の取り付け方や位置によって印象がガラリと変わるのだ。
わたしが特に面白いと感じたのは、とある参加者さんが、人工芝を切って箱の底に貼り付けていたことだ。
蓋を開ければミニチュアの庭のような底面があらわれ、そこにお気に入りの小物を入れる。
想像しただけでワクワクするじゃないか。
次はわたしも真似してみよう、と思った。
ワークショップのあとはコーヒーとお菓子をいただきながらティータイムを過ごす。
子は基本的には大人しく、ときどき話し掛けられた相手に笑いかけ、うーうーいいながら寝返りの練習をしたりしていた。
なんとか無事に終わった。
お疲れ様でした〜といいつつ、会場をあとにする。
夜は、夫が鶏肉を良い感じに柔らかくして醤油やらニンニクやらで良い感じに仕上げてくれた。
驚くほど旨かった。
鶏皮はふだんは食べないけれども、こういう時はメインに匹敵する旨さだ。
カリッと焼いた鶏皮は下克上の塊だ。
夫は白ワインを一人で3分の2以上空けながら、「そういえば最近俺、羽生結弦とも斎藤工とも言われなくなったわ」というので、大丈夫だきみは松田龍平だ、とかねてからの想いを伝えた。
そしてエディットピアフを流して「これ以上酔っ払ってこれ聴いたら泣くわ」と言っていた。
関係ないが、若い頃の美輪明宏は美しい。
ちなみにわたしもピアフは好きだしシャンソンも好きだ。
心のひだをぶるんぶるんされて泣きそうになるときもある。
初めてのシャンソンとの出会いは、めがねのコクラヤのCMで流れていた「パリの空の下」だ。
日曜のニュース番組のあいまに流れていた気がする。
今は亡き祖父母の家で、家族全員で聴いていた。
いまでもその曲を聴くと胸がぎゅうとなる。
サブカル男の終着点はシャンソンだってことにしたら格好いいよね、と話すので、たぶんまだまだ通過点だろうと返した。
夫ならあともう一周ぐらいあるだろうとおもった。
佐世保出身の落語家さんが今度お寺で公演をやるという話をした。
そこでなぜか人相の話になり他の落語家さんたちの話になったのだが、夫曰く、円楽師匠はナンバー2でとことん極まったひとらしい。
また、ラーメンズはあと20年もすれば古典芸能になりうるとも言っていた。
たしかに、普遍的な笑いを作り続けてきた彼らの功績は素晴らしい。
そういうのって、とても格好良くてとても難しいことだよなぁとおもった。
弱いつながり、の話をした。
とても良い話だった、とだけ記しておく。
インターネットにおすすめされたものを受け入れる事がよくないという風潮に夫が疑問を抱いているという内容だったように思う。
わたしはどちらかというと、探す手段がわからない派なのでおすすめされるのはわりと受け入れるしいいものだけ取り入れるようにはしているが、
それが好きな理由を人に話すときに、「ネットにおすすめされたから」というとどうにも格好がつかないとおもった。
しかし結局ネットのおすすめはこれまでの自分の行動の統計によるものなので、それをうまく自己分析して説明できればいいのではないだろうか。
そのあとに展開した話がうろ覚えなので、また夫に尋ねようとおもう。
たぶん同じ話を2度聞いているが、さすがに呆れられるだろうか。
【記事を書かせていただいてます】
【日常あれこれ】
布箱つくり楽しかった!個性あふれすぎて素敵でした。わたしのはみかんかビスコ入れになる予定です。#布箱 #ワークショップ #テマヒマ #フリーペーパー #佐世保
今さらですがりんご味あったんすね #佐世保 #ぽると #銘菓
その名前もう見たくねぇぇぇ
— chirolpakutiaji (@chirol1660) 2019年3月27日