子2が産まれたあたりまとめ
5月2日の朝4時ごろに愛猫が旅立ち、
3日にお寺でお見送りをして、4日の朝4時ごろに陣痛がきて子2が産まれた。
子1もまた、祖母の四十九日あたりのタイミングで産まれたものだから、偶然でないような気がしてしまう。
ゆく年くる年ならぬゆく命くる命といった具合で、わたしのまわりで命がぐるぐるとしている。
子2が産まれたのは予定日の11日前だった。
その1週間前、わたしは10分間隔でやってくる弱い陣痛のような痛みに襲われ2日間ほど寝たきりだった。
思えばこのときすでに、子2はしずしずとわたしの体内を降下していたようだ。それはもうお上品に。
後日健診で「4センチ開いてます」と言われた。ナルホドすぎて首を縦にふりまくった。
出産当日、5分間隔でやってきた強い痛みにヤバさを感じ、お義母さんに見送られつつ産院へ。
預けられた子1は、すやすやとそのまま昼近くまで眠っていた。
新型コロナウイルスの影響で、立ち会いは1人のみ。付き添ってくれた夫にそのまま居てもらうことになった。
今回は母が居ない。
彼女の、ドール製作の綿詰めで鍛えられた強靭な拳が恋しかった。子1の出産時、陣痛がきたときに腰をドンドン叩いてもらってすごく楽だったのだ。
産院で受付を済ませるやいなや、分娩室に促された。いきなりクライマックスの予感だ。
入院着の赤ストライプ柄に、かつてのバイト先だったホムセンの従業員エプロンを思い出す。
ゼーゼーと息荒く袖を通した。
そして台に横になったあと、ハッとした。まさかこのまま、仰向けでひたすら陣痛に耐えねばならないのか。
自由な体勢が取れないとは。四つん這い、あぐら、立ち姿勢など、いろんなスタイルで作戦を練っていたのがガラガラと崩れ落ちる。
どうにか気を紛らわそうとしたが、夫に話しかける余裕もなく、ひたすら呼吸に集中することにした。
以前、お寺の住職から学んだマインドフルネス瞑想のレクチャーを思い出そうとするが、残念ながら彼のマジ歌PVしか浮かんでこない。
めちゃくちゃ深い腹式呼吸をする。まだ幾分か楽である。演劇やっててよかった、と前回と同じことを考えた。
わたしはうつらうつらと眠気に襲われつつ、陣痛に叩き起こされまたうつらうつらとした。同時に夫もうつらうつらとしていたらしい。夫婦揃ってうつらうつらしていた。緊張感皆無である。
さらに30分ほど経ち、どうにも抑えられない痛みがやってきた。いよいよだ。
わたしはとうとう、「痛い、痛いぃ!」と喚いてしまった。
かつて観た出産ドキュメンタリーと同じ光景だった。
分娩台の取手を必死で掴もうとして爪がガリガリと当たる。取手の細かい溝に指先をはわせて本数を数えた。
天井の明かりを凝視しながら、心の中で旅立った愛猫にあれこれ謝りまくった。
そんなことをしているうちに出てきた。永遠にも思えた所要時間は3時間半だった。
夫の「すごい」という声が聞こえた。たぶん「早い」という意味も含まれている。わたしも「早いよね」と言った気がする。
コロナ対策でつけたマスクが、目元までずり上がっていた。飲み物を飲むのも忘れていたので、すごく喉が渇いていた。そのあと朝食を持ってきてもらったので夫ともりもり食べた。産んだ場所でそのまま食事、なんだか生きものだなって感じがした。
▲産んで即、栄養補給。生きものの営みだ。
入院生活の5日間はとても早かった。夫がベッド周りにガジェット関係をあれこれセッティングしてくれた。
▲洋室か和室かと言われ、おもしろ半分で和室を選んだ。行動範囲が広くてはじめは後悔したが、慣れてくるととても過ごしやすかった。
「グミが食べたい」と言ったら5.6種類ほど買ってきてくれた。
面会時間も人数も限られていたのでほぼリモートだった。とてもイマドキだ。
子2との同室でワタワタしながらも、もりもりとご飯を食べて5日間を過ごした。出した分はしっかり補充できたようにおもう。
▲食事は、これでもかというほど豪華だった。あまりに美味しくて厨房のひとに「おにく最高でした」とメッセージを書いた。
子1の出産時とはかなり違う環境だったが、なんとか楽しめた。しかし色々と忘れていて焦った。まだ1年半ほどしか経っていないのに。
そんな感じで、子二人体制の生活を送っている。
大変だけど、とにかく家の中がふわふわしていて可愛い。